不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

ちり紙交換車が再び

 今朝、ちり紙交換車のアナウンスを聞いた。
 ちり紙交換車が来るなんて、何年ぶりだろう。
 10年以上、もっとそれ以上だろうか。
 昔は当たり前のように、年中町内を回ってきたちり紙
交換車もいつの間にか来なくなってしまった。
 
 一時は、市がお金を出して古紙を処分していた。そんな
時もあった。引き取り手が無かったのだ。
 それが、ここ数年の中国をはじめとするアジア諸国の経
済発展により古紙の価格が急騰している。
 古紙を使って、配送用のダンボールを製造するそうだ。
 なんとも分かりやすい構図である。
 需要に応じて大量出荷、それにともないパッケージ用の
ダンボールの製造も活況を呈し、ダンボールの材料の古紙
の価格も上がる。
 古紙の価格が上がれば、私の住む町にもちり紙交換車が
息を吹き返す、ということになる。
 海外の経済発展が、とても身近に感じられる。
 
 ある地域では、町内の廃品の集積場に出された古新聞が
業者によって勝手に持ち去られる、ということも起きてい
る。
 腹を立てた町内の人が見張っていて、その業者を注意し
たそうだ。
 これが、誰も目を向けない本当の廃品だったら、黙って
持って行っても、とがめる人はいないだろう。
 それが金になれば、対応が即変わってしまう。
 これを、現金なものだ、と言うのだろうか?
 金が絡めば、正義の基準も変わってしまう。
 金で倫理も変わってくる。
 何と移ろいやすき世も中なのだろうか。
 
 私は、この世の中に真の正義は存在しない、と考えてい
る。
 それは、こんなことからも分かる。

 それにしても、ちり紙交換車とは古いネーミングである。
 こしかいしゅうしゃ、では聞いてもピンとこないから、
やはり、ちり紙交換車ということになるのであろうか。
 靴を入れても下駄箱。
 ペンが入っていても筆入れ。
 こんなところは、日本語の保守性が見られて面白い。