私が通っているオカシイ集団は、指導者である墨子がオカシイだけで、構成員は皆さん善良な方々である。
だが、指導者がオカシイことに気が付かないという点において、彼等もオカシイと言わざるをえない。
少しはオカシイと感づいたとしても、彼等の脳の中の「善良解釈回路」が働く。
この回路は、指導者や団体がオカシイ方向を向いていても「これは良いことである」と都合よく状況判断し、書き換えてしまう。
この回路は「自分たちが信奉している墨子や団体が悪いはずがない」という勝手な思い込みをエネルギーとして消費して動いている。
危ないカルト教団では、よくある風景である。
教団指導者は極悪でも、信者一人ひとりは、とても良い人だ、という宗教教団特有の構図である。
善良にしてオカシイ。
「宗教団体あるある」かもしれない。