不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

「善良解釈回路」と「宗教団体あるある」

 私が通っているオカシイ集団は、指導者である墨子がオカシイだけで、構成員は皆さん善良な方々である。 

 だが、指導者がオカシイことに気が付かないという点において、彼等もオカシイと言わざるをえない。

 少しはオカシイと感づいたとしても、彼等の脳の中の「善良解釈回路」が働く。

 この回路は、指導者や団体がオカシイ方向を向いていても「これは良いことである」と都合よく状況判断し、書き換えてしまう。

 この回路は「自分たちが信奉している墨子や団体が悪いはずがない」という勝手な思い込みをエネルギーとして消費して動いている。

 危ないカルト教団では、よくある風景である。

 教団指導者は極悪でも、信者一人ひとりは、とても良い人だ、という宗教教団特有の構図である。

 善良にしてオカシイ。

 「宗教団体あるある」かもしれない。