「いつもの集い」と当ブログで記しているが、これは✝️の⛪️で行われている日曜日と木曜日の行事を指す。
伏せ字にしているのは、検索除けである。
✝️の世界は、非常に狭く、そうしないと見つかってしまう懸念があるからである。
だが、最近では、集いの状況を克明に記さず、その問題点を記すことに切り替えようかな?とも考えるようになってきた。
✝️のPro手スタントは、問題がある集団である。
彼等はオカシイ。
旧教や正境界は、まだマシである。
私はただ行事に参加している部外者である。
墨子は「この人は先例を受けたがっている」と思っているようだ。
しかし、私にはそんな気は、まるっきり無い。
あるようなふりをしているだけである。
そんな私から見ても、ちょっと黙っていられないな、と思うようなことは、いくつもある。
それらを見て見ぬふりをし続けるべきか、否か?
大いに迷うところである。