私は世間で言うところの「反ワクチン」「反ワク」である。
「反ワクチン」「反ワク」という呼称は蔑称に感じる方もおられる。
実際、私はリアルの席において、ある方から「私たちが『反ワクチン』と呼ばれるのは不愉快です」とハッキリ言われたこともある。
普段、そうしたことを一切言わない方だったので、私は少し意外に思った。
その方は「反ワクチン」「反ワク」という呼び名の中に、嫌な響きを感じるらしい。
それらを考慮して、当ブログでは「新型コロナワクチン拒否派」「新型コロナワクチン非接種者」と表現している。
では、私はどうなのか?
私は「反ワクチン」「反ワク」と呼ばれても、全然平気である。
何とも思わない。
あぁ、そうですか。
そう呼ぶのですね、である。
これはネット上でも、リアルの場でも同様である。
まぁ、元々、私は基本的に、自分がどう呼ばれようと気にならない人間である。
「呼びたいように、呼んでくれ」である。
そこに悪意や蔑みがあっても、一向に構わない。
それは、その人の脳味噌が、そのように形容しているだけのことである。
小さな彼の脳味噌の分類でしかない。
そのような脳味噌の動きに、一々反応している余裕は、私には無い。
「勝手にしてくれ」である。
寧ろ迷惑なのは、実像以上に高く評価されることの方が、困る。
それは、私に高慢の気持ちを呼び起こさせる可能性が十分あるからである。
そちらの方が、怖ろしいし厄介である。
多少小馬鹿にされるくらいがちょうど良い。
まぁ、私は何もしなくとも小馬鹿にされて生きてきたのだが(笑)。
リアルの私は、そんな感じである。