不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

認知症のNZさん。その①

 昨日の記事のNZさんは、認知症で当市に一人住まいされている。

 ご子息はいずれも遠方に住んでいて、行事などの際に帰省されているようだ。

 ご子息は、いずれもとても優秀で、一人は旧財閥系のグループ企業で、まあ誰でも知っているような会社の常務、一人は旧帝大系の大学助教授である。

 NZさんは、ご子息たちの出世が嬉しいのか、人に言いたくてたまらない。

 会うたびに「うちの息子がこんど常務になって・・・」という話をされる。

 聞かされる私たちは「もう何度も聞いています」と喉元まで出かかっているが、そこは大人の配慮でグッと押し留め、「そうですか。よかったですね」聞いている。

 NZさんは、どうやら自分がいつも話しているという自覚がないようだ。

 自分が何を話したかほとんど覚えていないようだ。

 同じ話を、さも初めて紹介するかのように話し始める。

 一日に一回すればそれで終わりであるが、次回顔を合わせた際には、また同じことを同じテンションで話す。

(あぁ、腕の良い漫才師みたいだな)と私は思って聞いている。

 漫才師は何千回、何万回と披露してきた漫才ネタを、常に新鮮に演じている。

 漫才のセリフを今初めて知った、聞いたかのように相方に話す。

 これはかなりの技量がないとできないことである。

 NZさんは、それと形の上では同じである。

 だが、NZさんは演技でそれをしているわけではない。

 自慢したい内容は覚えていても、それを以前にも話したという事実は、すっかり忘れてしまっている。

 認知症は、なかなか手ごわい。

 これは、これで面白い、と思えれば良いが、それは私が他人だからであろう。

 身内であれば、とんでもなく厄介である。

 それなのに、NZさんのご子息は、母親を一人で暮らさせている。

 普通は誰かが引き取る等、何らかの処置をするだろう。

 それを放って置かれている。

(それで良いのかぁ?)と周囲の皆は感じているが、いわゆる他人なので何も言えないでいる。

 

 ~続く~