当ブログにおいて、新型コロナワクチン接種による惨劇の予見を記しているのは、明確は理由がある。
それらの今後起きていく事柄をを予め知っておくことにより、覚悟ができ、実際にそうした事態に直面しても狼狽することが無くなる、もしくは少なくなるのでは、という配慮からである。
何も知らなくて、そうした事態に出くわせば気持ちの弱い人であれば、精神的に壊れてしまう可能性も有り得る。
「よほど酷いことが起きるんだな」と事前に知っておけば「あぁ、これはブログで読んだことだな」と受け止めることができる。
そして、その結末についても知っていれば、狼狽えることもなくなる。
(今少しの間我慢すれば、事態は好転していくのだな)と承知しておけば、忍耐も辛いだけではなくなる。
忍耐もトレーニングの一種だと見なすことができれば、忍耐も楽しくなる。
貴重な訓練期間だと思えるようになる。
それに、その忍耐の期間も、それほど長くはない。
もっとも、それは私の感覚であり、多くの人がどう感じるかはわからない。
新型コロナ禍の3年間を「長かった」「忍耐の限界だった」と言っている人が多いらしい。
たった3年間である。
それすら我慢できない。
直接業務に関わりがあり収入に直結していた人ならともかく、一般の人でそんな事を言っているようでは、それらの期間は苦痛の連続であろう。
そういう方々には、地獄の日々になるかもしれない。
何事も捉え方一つである。