先週の土曜日の午後6時から、お祭りの反省会があった。
私は反省するほどお祭りに協力はしていないのだが(苦笑)、回覧板で回ってきた案内に「夕食の用意があります」との一文に惹かれて、参加を決めた。
わざわざ、この一文があるということは、それなりの物が出るであろう。
時間帯からしてアルコールも出るだろう。
しかも、会費の徴収も記されていない。
と言うことは、逆に豪華な内容だ、ということに違いない。
会場はいつもの集会所ではなく、町内にある寺院D寺とある。
D寺でやるのか。
珍しい。
D寺には、子供の頃、夏休みのラジオ体操と盆踊りの時に行っていた。
ラジオ体操は少子化のため大幅縮小、盆踊りは別の会場に移転した。
近年は横を通ることも殆ど無かった。
D寺は浄土宗の寺院で、それなりに歴史があり歴史上の遺物もあり、熱心な歴史ファンは知られてれている。
だが、檀家数が少なく経営が苦しく、当町内会の予算から、いくらか金銭的に援助している。
我が家からは徒歩で5分ほどの場所にあるが、普段は用事が無く、私の行動範囲からは外れているので寺の様子を見ることもなかった。
開始15分前に着くように家を出る。
5分歩いて到着した。
境内外れにある遺物を見学する。
その後、寺に入る。
あれ?
何だか新しくなっているな。
久しぶりに来たD寺は、綺麗でモダンな感じになっていた。
本堂に隣接する建物に玄関ライトが光っている。
ここから入るのだな。
何十年ここに住んでいて、D寺の建物内に入るのはこれが初めてである。
建物自体が新しく、その上に普段の行き届いた掃除ぶりが見える清潔さである。
こういう点は仏教の美点である。
入ってすぐのところに大広間があった。
すでに役員さんたちが集まり準備をされている。
へぇ~こんな大広間があるのかぁ。
宗教施設として立派な部類に入るであろう。
これだけの大広間がある寺は、少ないのではなかろうか?
経営が苦しいはずなのに、こんなに立派だとは、意外である。
さてテーブルの上の品物を見る。
大皿の握り寿司とオードブルを中心にその他のおつまみ類といったメニューのようだ。
寿司は回転寿司、オードブルは持ち帰り弁当店のテイクアウトである。
配られたワサビと箸のパッケージにそれらの会社名が記されている。
個別に分けず大皿から各自食べたいだけ食べるという形式である。
皆さんが席に着き、定刻となる。
会長さんの挨拶と反省のスピーチが始まる。
大きなトラブル、アクシデントは無かったようだ。
泥酔した男性一名が、お祭り集会所からの帰り道に自宅前で転倒し、顔を血だらけにしたことは、この日の参加者は皆さんがご存知のようだ。
その血だらけの男性も、この反省会に参加しておられる。
会長さんの言葉が終わると、乾杯となり、会食が始まった。
私の隣にはM君が座った。
M君は私の幼馴染であるが、成人以降は特に交流は無い。
元々の仲は良い方だと思うが、プライベートの時間に連れ立って遊ぶということは無かった。
「では、仲良くないのでは?」と言われるかもしれないが、まぁそんな感じである。
M君といろいろ話す。
M君には、現在進行中の数々のエピソードがあるが、個人情報の問題もあり、いくら匿名のブログとは言えペラペラと記すわけにもいかない。
今後記すかもしれないが、現時点では未定である。
M君は少なくとも私よりもマトモな人である。
社会的信用も段違いにある。
だが、なかなか厳しい人生における課題を突きつけられている。
「何もかもが満点で心配が無い人生」というものは、この世には無いのかもしれない。
それにしても、反省会の食事がこれほど豪華だとは思っていなかった。
「回転寿司と持ち帰り弁当のオードブルの、どこが豪華なのか?」という声もあろうが、量は十分に用意されている。
アルコール中心の方が殆どで、皆さんあまり召し上がられない。
一方、乾杯の時に50mlほど飲むだけで、基本飲まない私にとっては、事実上の食べ放題状態となった。
いくら食べても減らない。
他のテーブルから「これも食べて」と品が回ってくる。
う~ん、これほど食べ物に恵まれる食事会は、初めてかもしれない。
食べ続けるうちに、食欲の限界に達したようだ。
もう食べられない。
目の前にまだまだたくさんのご馳走が並んでいるのに、食べられない。
限界点に来ると、食欲はゼロになるようだ。
午後8時過ぎに会長さんの挨拶があり、会はお開きになった。
なるほど、こんな食事会をやっていたのかぁ。
これは、なかなか良いなぁ。
次回の開催時にも是非参加したいなぁ。
それには、お祭りにも協力しなければなるまい。
食い物に釣られる私であった(笑)
尚、この日のマスク着用率は、50%以下だった。
最初から食事会とわかっていたからなのか、マスク非着用者の方が多いかも?といった様子だった。