私はこの新型コロナウイルス禍、並びに新型コロナワクチン禍には少なからず感謝している。
コロナ禍やワクチン禍自体は忌まわしい出来事ではある。
だが、そうした災禍の反対側には同じくらいの強烈さで恩恵も齎されているものである。
私にもその恩恵に与ることができた。
有り難いことである。
その恩恵の一つは、人を識別する機会が与えられたということである。
このコロナ禍、ワクチン禍に対し、その人がどのような対応するかにより、その人の感覚、センスが明らかになっているからである。
鈍い対応をしている人は鈍く、先鋭的な対応をしている人は鋭い。
これらの災禍をどう捉えているかにより、対応は異なってくる。
災禍がどう見えるのか?どう感じるのか?である。
日頃「自分は鋭い、センスが良い。見る目がある」と自負している人ほど、驚くほど鈍い対応をしている。
その自負心はただの錯覚であり実力がまるで無い、ということが明らかになってしまっている。
これは面白い。
真実は隠しきれないようだ。
そのような人とはリアルの場ではお付き合いの仕方を考え直すべきなのか?
それともこれまで通りと同じで良いのか?
悩ましい。
~続く