私のお願い事は通常では叶わないような事柄である。
「では、ご自分で神様にお願いしてみたら?」と言う声があがるかもしれない。
それは、そうである。
それは私も考えた。
だが、(自分で祈っても叶わないだろうな)という思いが拭いきれなかった。
自分で不可能だと思っていたら、願い事は叶わない。
となれば自分以外の第三者に祈ってもらうしかない。
教会長先生が「不二家さんもどうぞ」と仰って頂いたので申し込んだのである。
末端のたまにしか参拝しない者にも声をかけてくれる、これだけでも有り難いことである。
私としては、(お願い事を申告はしたものの、まぁ叶わないだろうな)という思いが少なからずあった。
それが叶えられている。
有り難いと同時に、怖ろしくもある。
これが畏怖というものなのか?
過去にあり得ないような奇跡を多々起こしてきた教会長先生である。
「そんなこと絶対ありえない」と本部の役員にも言われたようなことも易易と起こしている。
もっと他のお願い事をした方が良かったかな、と思わないでもない。
例えば「孫正義さんのような金持ちになれますように」とか(笑)
それは不謹慎か?(笑)
いずれにせよ、教派神道、あらためて恐るべし、である。