敬老の日である。
私が子供の頃、”老人は宗教的になる。信心深くなる”と思
っていた。
だが、それは間違っていた。
勝手な思い込みだった。
人は歳をとったから宗教的になるわけではないようだ。
若い頃から信仰心がない人は、歳をとっても信仰心は無い
ままとなる。
肉体だけ物質だけが彼らの世界である。
崩れ落ち消え去るものに情熱を傾けている。
楽しいこと、楽を追い求めて生きている。
だが、その反動として苦が襲いかかることを彼らは知らな
い。
それがこの世の掟なのだ。
そして、多くの老人はまさにその苦の世界に生きている。
テルグ語の詩の一節を紹介してこの記事を終わりたい。
子ども時代には、他の子どもたちと一緒に遊びに夢中にな
る
青年期には、キューピッドの影響を受けて女性に熱をあげ、
二人でうろつき回る
中年期には、世事に深く関わり、富を貯えることに没頭す
る
そして最後の老年期、熟年になっても神を想うことなく、
さまざまな事を切望する
古い習慣を捨てることができず、
敬神の道に関心を持つことができず、
人は貴重な人間としての生を無駄にして、
カルマの網に深く捕らわれる