不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

多くの老人の世界。

敬老の日である。

私が子供の頃、”老人は宗教的になる。信心深くなる”と思

っていた。

だが、それは間違っていた。

勝手な思い込みだった。

人は歳をとったから宗教的になるわけではないようだ。

若い頃から信仰心がない人は、歳をとっても信仰心は無い

ままとなる。

肉体だけ物質だけが彼らの世界である。

崩れ落ち消え去るものに情熱を傾けている。

楽しいこと、楽を追い求めて生きている。

だが、その反動として苦が襲いかかることを彼らは知らな

い。

それがこの世の掟なのだ。

そして、多くの老人はまさにその苦の世界に生きている。

テルグ語の詩の一節を紹介してこの記事を終わりたい。

 

 

子ども時代には、他の子どもたちと一緒に遊びに夢中にな


青年期には、キューピッドの影響を受けて女性に熱をあげ、

二人でうろつき回る
中年期には、世事に深く関わり、富を貯えることに没頭す


そして最後の老年期、熟年になっても神を想うことなく、

さまざまな事を切望する
古い習慣を捨てることができず、
敬神の道に関心を持つことができず、
人は貴重な人間としての生を無駄にして、
カルマの網に深く捕らわれる