私は驚きはしたが同時に(あぁ、やっぱりなぁ)とも
思った。
フォークは、大学を休学してユーゴスラビアの鉄道
で働いた経験があるのだ。
そのことについては当ブログでも記事にしている。
それは6カ月間と短期間ではあったが、わざわざ大
学を休学してまで行くことか?と思える。
しかも、時は1950年代初頭である。
東西冷戦の真っ只中である。
そんな”赤い国”へ米国の大学生が仕事に行ったの
である。
健全な米国青年なら、絶対にしないようなことであ
る。
そもそも、その時代に米国において社会主義国であ
るユーゴスラビアでの働き口を見つけられる、という
こと自体普通はありえないことである。
そういった就職情報を入手することすら困難なのが
当時の常識である。
となると、フォークは大学生の頃には既に共産党員
だったのだろうか。
大学生が、入学後に社会主義思想に染まるという
ことは、十分考えられるが、そこは米国である。
政治風土が社会主義を許していない。
にもかかわらず、ホイホイとユーゴスラビアまで働き
に言ってしまうあたり、やはりフォークは変わった人で
ある。
だが、フォークが変わっているのはそれだけではな
いのである。
~続く~