ピーター・フォークがテレビ・デビューした1957
年以降は、今日では米国のテレビの黄金時代
であった、とされている。
当時の米国のテレビ業界は、技術的に制限さ
れた状況にありながらも極めて質の高い作品を
多く送り出していた。
だが、その時代のエンターテイメントの王様は、
やはり依然として映画だった。
テレビの猛追によって、少しずつ観客数が減っ
ていく傾向にあったとはいえ、収益や制作規模は
テレビの比ではなかった。
この頃、大作映画の多くはカラーで映画全体で
も30%以上はカラー作品あったのに対し、テレビ
では殆どは未だ白黒だった。
そうしたこともあってか、映画の都・ハリウッドで
は「テレビなんぞ、大したものではない」というとら
え方が強かった。
ハリウッドは、昔から何かとプライドが高いのだ。
そうは言っても、観客数は明らかにテレビの影
響で減ってきている。
「何とかしなくては」と思いつつも、具体的な方策
は浮かばない。
ハリウッドは「質の高い作品を作っていれば大丈
夫だ」という、尤もではあるが確実性の無い方針を
採るしかなかった。
こうした姿勢は、映画関係者たちのプライドをより
頑迷なものにしていった。
これは、今日における放送とインターネット、新聞
とインターネットの関係と同様である。
画期的な新技術を手にした存在の出現により「食
うか、食われるか」という状況におかれた時、先行し
存在していた既得権益の保持者は、自身のプライド
の砦を築くことによって自らを防御しようとすることし
か思いつかないものなのである。
プライドはエゴを強めはするが、アイディアを生み出
すには邪魔にしかならない。
こうした時代背景の中、ピーター・フォーク初の映
画出演の日がやって来たのだった。
(なお当ブログでは、プライドは決して良いもので
はなく、煩悩の一つとして位置づけている)
~続く~