矢沢永吉さんがデビュー50周年になる音楽活動を回顧したインタビューである。
日本で頂点に着いた矢沢さんは再度一からスタートすべく米国へ単身で渡った。
マネージャーやレコード会社等が手筈を整えての渡米ではない。
文字通りの単身渡米であった。
自炊し契約等何から何まで自分でやった。
英語が得意だったわけではない。
聞き取りは出来たが、自分の意志や感覚を日本語のように流暢に話せなかった。
そのため当初は通訳を雇っていたが、自分の求めるサウンドをミュージシャンに理解させる難しく、身振り手振りを交えて自分で話すことになった。
あのツバが飛んで来そうな熱い喋り方である。
それにより、うまく意思の疎通が出来るようになったそうだ。
矢沢節は米国でも機能するらしい。
おそらく世界中で通用するコミュニケーション方法であろう。
あの勢いでぶつかって来られたら「お、おぉ」と受け入れてしまうのであろう。
クールに澄ましているのではなく、全力で突進していく。
そして壁をぶち破る。
矢沢永吉、恐るべし。