私は、ある本の著者について調べていた。
その人はキリスト教の牧師らしい。
所属の教会のホームページに辿り着いた。
著者の肖像写真を見る。
(あぁ、ダメだ)
私は、それ以上この人について何か知ろうとは思わなくなった。
何故か?
人相やら顔つきが悪いのか?
否、そうではない。
善良そうな笑顔である。
私は何が気に食わないのか?
その人はカツラを装着しているからである。
一見してカツラとわかる。
私はカツラを見抜くのが特に得意ではないのだが、それでもこのカツラは丸わかりである。
安物なのかもしれない。
では、何故カツラ付けているとダメなのか?
カツラを付けているということは、嘘をついているということである。
真実を語らなければならない牧師という立場の人が、日常的に嘘をついている。
これは私には許せない。
どれほど他で真実を語り誠実であっても、カツラを付けているようでは指導者として失格である。
禿げていては悪いのか?
自己を飾ろうとする虚栄がカツラを被らせているのであろう。
宗教家としては三流以下である。
自分のハゲ・薄毛を乗り越える試練を回避していてはいけないのだ。
ちょっと厳しいようだが、私はそう考えている。