不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

どれが方言か、わかっていない。

 私は10代の頃から、地元の方言を使っていない。
 意識して使わないのだ。
 だが、自分では使っていないつもりでも使っているか
もしれない。
 これはわからない。
 方言の世界にどっぷりと漬かった生活をしているため
に、どれが方言で、どれが標準語なのか、わからなくな
っている。
 わかっているつもりでも、わかっていないのだ。
 「テレビやラジオで標準語が話されているので、わか
るだろう」と言われるかもしれない。
 それが、わからないのだ。
 明らかな方言、珍妙に聞こえる方言は既にチェック済
みである。
 さすがに、それはわかる。
 しかし、それ以外のものは聞いていてもスルーしてし
まうようだ。
 すっかり耳に馴染んでしまっており違和感がない。
 それが私の基本の言葉、日本語となってしまっている
ようだ。
 これが血肉化というものだろうか?
 (この言葉は全国で普通に使われている)と思い込ん
でしまっている。
 思い込みとは常に自発的な心理であり、強制ではない。
 自発的な心理行動には極めて強い力がある。
 よほどのことがないと覆されない。
 思い込みが信念となる。
 「私は標準語を使っている」と胸を張るようになる。
 こうして方言が自分の標準語の中に埋め込まれていく。
 あぁ、言葉は難しいなぁ。