「○○の利益があるから□□をする」
利益が大きければ礼賛され、少なければ見下す。
英語を勉強すれば、将来良い仕事のポストに就く可
能性が高いから英語を勉強する。
○○という仕事に就くと、収入が多いので○○になる。
対価を常に計算している。
例はいくらでも挙げられる。
昨日のブログで取り上げた桃太郎でも同様である。
鬼退治に付いてくるのなら、きびだんごをあげましょう。
「そんなの当たり前じゃないか!」
そう言われるだろう。
そのため日本では無償の奉仕という精神が育たない。
育つどころか芽すら出ない。
タダ働きは蔑まれる。
近年、外国からの影響によりボランティアという概念が
浸透してきて入るが、これも日本においては無償という
意味合いは極めて少ない。
学生時代にボランティア活動をした実績があると、就職
に有利になるとされる。
ボランティアすらも打算に毒されている。
これを国民性と呼ぶのだろう。
こうした風土に反すると「変わった人」と見られてしまう。
「どうしてそこまでやってあげるの?」と高圧的に言ってくる。
あぁ、日本は変わった人には住みにくい国なのである。