不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

増山 江威子さんの幼年時代。

 私は増山 江威子さんのインタビューを聞いていた。
 これは6月4日放送のNHKラジオ深夜便の「時代を創っ
た声」でのものである。
 今日は増山さんの幼少時代のエピソードを聞き書きす
る。
 出来るだけ増山さんご本人の言い回しを用いて記すよ
うにする。
・増山さんは子供の頃喋るのが不得手だった。
 4人姉妹の末っ子ですぐ上の姉が6つも年上だった。
 みんなにこねくり回されて4人母親がいるみたいで、
そのため甘ったれでゆっくりとしか話せなかった。
それがコンプレックスだった。
 どうして人並みに話せないのだろう?と思い、訓練し
ないといけないと自分で思った。
 職員室によばれて先生から「あなたちゃんとお話しで
きないの?」と言われてそれが凄くショックだった。
 今でも早口は出来ないで割とゆっくりと喋る。後年、
舌が長いことが判明した。
 早口が今でも苦手で、それが個性になって、そういう
意味で声の世界に入って良かったと思っている。個性と
とらえて頂けた。
 12歳の時にだんだん大人になって、その話し方が恥ず
かしかった。
 そこで「ちゃんとお勉強しよう」と思って、義理の兄
が児童新聞を経営していて、そこのスタッフに児童劇団
運営している人がいた。
 紹介してくれて試験受けて合格し入団した。新児童劇
団という名前だった。
 学校の先生に言われたのが結構ショックで(じゃぁ私
は普通じゃないんだわ。お勉強しなきゃ。ちゃんと早口
もできるようにならなきゃ)と思ってその劇団に入った。
 その劇団に麻生美代子さんがいた。
 麻生さんが児童部の先生だった。
 いろいろ指導を仰いだ。
 後年、声の仕事でご一緒できるようになった。
   聞き書きここまで

 増山さんが、幼い頃ゆっくりとしか話せなかったという
ことは知らなかった。
 わざわざ職員室に呼ばれて尋ねられたのだから、かなり
ゆっくりだったのだろう。
 そうであっても、児童にとってこれはかなりの心理的
撃だった思われる。
 (これは何とかしなくては)と思い立ち、自ら児童劇団
へ入団するという行動は、子供にしては立派である。
 元々向上心のある人だったのであろう。
 そして、この児童劇団入団が女優・増山 江威子を生む出発
点となった。
 何が幸いするかわからないものである。