読経が終わり、式も終わりに近づいた。
告別式でも僧侶は講話を行った。
内容は道徳に類するもので宗教色は無かった。
何か遠慮をしているように見えた。
ここにいる参列者全員が自分と同じ宗派というわけで
はないから、ということであろうか。
あるいは無宗教層に気を使っているのか。
せっかく僧侶が正式の袈裟を着て話をするのだから、
もっと宗教について語っても良いのではなかろうか。
かなり踏み込んだ内容であっても通夜・告別式という
特別な場である。
余程の内容でも許されると思う。
私は、通夜・告別式での僧侶の講話を楽しみにしている。
こうした特殊な空間で、生涯における最大級の悲しみに
くれる遺族に、どういう言葉がかけられるか、ということは
重要な課題だからである。
また、特に悲しくもなく、義理で、お付き合いで参列して
いる者にも宗教家として訴えることはあるのではなかろう
か。
非日常的空間において聞く話は、強く印象に残る可能
性が高かろう。
宗教家であれば、この場を利用し日ごろの鍛錬の結果
を見せて欲しい。
この日の僧侶は講話をしてくれただけでも、良い方だと
思う。
それなりの熱意が感じられた。
何も話さず、お経だけ呼んで帰っていくような僧侶は、
お呼びではない。
~続く~