Sさんのおしゃべりの内容は罪が無いものばかりなので、
大目に見た方が良いのかもしれない。
だが、次に通夜・告別式の主役・つまり故人になりそうな
のは、年齢順からするとSさんの旦那さんかSさんである。
これは極めて失礼な指摘ではあるが、匿名の表記とい
うことでお許しいただきたい。
そんな立場にあるSさんが、死について考えるには最適
な場である通夜・告別席でおしゃべりに夢中である。
これは、どうなのだろう。
「そんなの個人の自由だ」と言わるかもしれない。
「他人が口を出す問題ではない」とも言われそうだ。
おっしゃる通りである。
だが、遠くない将来に自分が置かれる立場に思いが至ら
ないのは不思議でならない。
人は自分自身の死については、無意識に避けているの
だろう。
無意識の次元から「それについては考えるな」という指令
が出され、それに無意識に従っているのではなかろうか。
終始おしゃべりをしていれば、意識はそちらにかかりきり
になる。
死については目を背けることができる。
内容が無いおしゃべりであっても、意味があるのかもしれ
ない。
そうして人は逃げ回る。
逃げ続けて最期には捕まってしまう。
そして、この世から追い出されてしまう。
そんな人が多いのだろう。
~続く~