不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

班での告別式参列。その⑥

 Sさんのおしゃべりの内容は罪が無いものばかりなので、
大目に見た方が良いのかもしれない。
 だが、次に通夜・告別式の主役・つまり故人になりそうな
のは、年齢順からするとSさんの旦那さんかSさんである。
 これは極めて失礼な指摘ではあるが、匿名の表記とい
うことでお許しいただきたい。
 そんな立場にあるSさんが、死について考えるには最適
な場である通夜・告別席でおしゃべりに夢中である。
 これは、どうなのだろう。
 「そんなの個人の自由だ」と言わるかもしれない。
 「他人が口を出す問題ではない」とも言われそうだ。
 おっしゃる通りである。
 だが、遠くない将来に自分が置かれる立場に思いが至ら
ないのは不思議でならない。
 人は自分自身の死については、無意識に避けているの
だろう。
 無意識の次元から「それについては考えるな」という指令
が出され、それに無意識に従っているのではなかろうか。
 終始おしゃべりをしていれば、意識はそちらにかかりきり
になる。
 死については目を背けることができる。
 内容が無いおしゃべりであっても、意味があるのかもしれ
ない。
 そうして人は逃げ回る。
 逃げ続けて最期には捕まってしまう。
 そして、この世から追い出されてしまう。
 そんな人が多いのだろう。

 ~続く~