不二家憩希のブログ

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アッティカ刑務所暴動とシェップとレノン。

 ”狼たちの午後”の初めの方で主人公がアッティカ
刑務所に言及するくだりがある。
 このアッティカ刑務所とは何なのだろう。
 私は見ていてあまり知らなかったので後で調べてみ
た。
 登場人物たちが、アッティカ刑務所の名前が出ただ
けでどうしてあのようなリアクションを取るのか?
 当時としては常識だったのだろうが、私は知らない。
 このアッティカ刑務所については1970年代当時の観
客も皆が知っているかもしれないが、今では忘れ去ら
れていたり最初からご存じない方もおられるかもしれない。
 このアッティカ刑務所にまつわるエピソードは、この映
画を観る前に知っておいた方が作品に対してより理解が
深まると思う。
 私はネタバレにはならないと判断しアッティカ刑務所に
ついて記すことにする。
 アッティカ刑務所は、映画の舞台となったブルックリンと
同じニューヨーク州にある刑務所である。
 この刑務所で1971年9月に暴動が起きた。
 映画の1年前である。
 約2200人の囚人のうち1000人が暴動に加担した。
 この時囚人たちは鉄パイプ、チェーン、野球のバットで
看守を襲った。
 そして42人の所員と民間人を人質にした。
 この時点で刑務所は暴徒たちの支配下に置かれたこと
になる。
 暴徒たちは当局との交渉を望んだ。
 主な内容は待遇改善にあったが、その中にはこの暴動
起こしたことによる罪の完全な恩赦も含まれていた。
 だが、交渉は決裂した。
 これを受けて当時のロックフェラー・ニューヨーク市長は州
兵の派遣要請を了承した。
 軍事制圧である。
 州兵が刑務所に向かった。
 州兵は、催涙弾を投げ込み、銃で暴徒たちを撃った。
 これにより、28人の暴徒が射殺され人質9人も巻き添り
死亡した。
 この対応については世論は賛否両論だった。
 やり過ぎだという意見と当然だという意見が対立した。
 ニューヨーク州ではアッティカ特別委員会が組織された。
 委員会では当時の暴動の経過が詳細に検証された。
 確かに州兵たちの行為は度が過ぎている感もあるが、
事態は刑務所の暴動である。
 しかも、人質まで取られている。
 常識が通じる世界ではない。
 それでも、当時の米国民の中には、当局の横暴だという
空気もかなりあったようだ。
 
映画の「アッティカ!」とは、この刑務所の暴動について
アジテーションだったのだ。
 アッティカ刑務所の暴動は、音楽界にも影響を及ぼした。
 ジャズのサックス奏者・アーチー・シェップは事件が発生
してすぐに”アッティカ・ブルース”という曲を発表した。
 ジャズではなく、これはファンク、ソウルである。
 この盤は当時のジャズ評論家から酷評されジャズ界
からは完全に無視された。
 だが、近年ではフリー・ソウルの先駆的作品として、
ソウルミュージック界から高く評価されている。
 
 ジョン・レノンアッティカ刑務所の暴動について歌
を作っている。
 だが、発表されたのが事件の翌年でアジテーション
ソングとしての威力は失われてしてしまっている。
 レノンは、そういう点が間抜けなのだ。
 鋭いようで鈍いのがレノンである。
 曲は凡庸でファンからも黙殺されている1曲である。