不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

マハトマ・ガンディーと斎太郎節。

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 10月2日は、インド独立の父マハトマ・ガンデ
ィーの誕生日だそうだ。
 ガンディーといえば、その名にマハトマ(大聖)
という敬称が当たり前に付いているほどインドで
は尊敬されている。
 日本では、以前はガンジーと表記されていた
が、今ではガンディーとされることが多い。
 そのガンディーと言えば、私はいつも必ず日本
宮城県民謡・斎太郎節を連想する。
 えぇ?どうしてガンディーで斎太郎節?と思わ
れることだろう。
 斎太郎節は、日本でも最もなじみのある民謡
である。
 歌詞の細部まで知らなくとも、日本人なら誰で
も知っているだろう。
 さて何故私はガンディーと聞くと斎太郎節を思
い浮かべるのか。
 それは、斎太郎節の歌詞にガンジーが出てく
るからである。
 ここで、歌詞を載せる。
 ♪エンヤトット、エンヤトット
 まつしまぁ~の さぁ~よ~ ずいカンジィーほ
どのぉ~ はぁこりゃこりゃ・・・
 歌の冒頭に早くもガンジーが出てくるではないか!
 私は子供の頃から(どうして日本の民謡にガン
ジーが出てくるのかな?)と不思議に思っていた。
 少し大きくなると、(う~ん、これは日本に帰化
た唐の高僧・鑑真のことかもしれないな)と思うよう
になった。
 だが、歌を聴いてみると、やはり「ガンジィー」と
歌っている。
 やはり、ガンジーか。
 どうしてだ?!
 何故、日本の民謡にガンジーが出てくる?
 いくらインドが世界でも屈指の親日国だといって
も、これは行き過ぎである。
 私には、かなり長い間、このことが謎だった。
 本当にそう思っていたのである。
 そして、それから長い年月が過ぎ、私はその謎
を解明した。
 歌詞ではこう歌っているのだ。
♪エンヤトット、エンヤトット
 松島の サーヨー 瑞巌寺ほどの ハ コリャコ
リャ
 寺もないとエー
 つまり「瑞巌寺ほどの寺もない」ということなのだ。
 おぉ、そう言うことだったのか。
 瑞巌寺=ずいがんじ≠ずいガンジー
 私は長年の疑問が解けた今でも、ガンディーと
言えば、やはり斎太郎節を思い出す。
 私にとって、マハトマ・ガンディー=斎太郎節なの
である。
 高き天におられるマハトマも、こんなブログ記事を
読んで苦笑されておられるかもしれない。
 それでは、斎太郎節をお聞き頂くことにする。
 歌唱は森昌子でこの時まだ15歳である。
 彼女は若い頃から民謡を録音していたようだ。
 この映像では31秒過ぎあたりで確かに「ガンジー♪」
と歌っている。
 私にはやはりそう聞こえてしまう。
 長年の思い込みとは恐ろしいものである。