不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

80年代の政界から思うと。

 菅直人氏は、社民連という小さな政党から
国政デビューした。
 当時の社民連は党首が江田五月氏、他に
国会の爆弾男の異名をとった楢崎弥之助氏、
阿部昭吾氏であわせて4人の小世帯だった。
 議席衆議院だけで参議院議席は無か
った。
 私はその頃、社民連に関わることがあり、
菅氏ともコネクションが出来た。
 それ以来、菅氏の動向を常に追うことになっ
た。
 菅氏は、そんなミニ政党に所属しておりなが
ら、当時から身近な者にこう語っていた。
「将来は、首相になりたい!」
 代議士は口にこそ出さないが、皆内心では少
しはそう思っているらしい。
 だが、それを実際に口にするか否かは、また
別の話である。
 私はその話を聞いて「さすがにそれは無理だ
ろう」と思った。
 当時の社民連は、それなりの存在感はあって
も、議席4の弱小政党である。
 可能性は殆どゼロだった。
 その頃、与党自民党の若き幹事長だったのが
小沢一郎氏である。
 自民党の最年少幹事長として辣腕をふるい、
権力の中枢にいた。
 菅氏は革新派ミニ政党の一代議士、小沢氏は
保守政党の中枢で日本の権力のトップにいた。
 
 それから20数年経った。
 菅氏は本当に首相になった。
 参議院議長は、江田氏である。
 江田氏といえば菅氏が社民連で国政入りした時
の党首である。
 その江田氏が菅氏の参議院首班指名を宣言し
た。
 こんなこと、80年代当時には想像も出来なかった。
 江田氏も感慨無量だったと思う。
 そして、小沢氏も同じ党にいる。
 こちらも、80年代には想像も出来なかった。
 政界は一寸先は闇、とはよく言われるが、本当に
そうだと思う。
 そりゃないだろう、というようなことが現実に起こる。
 
 世の中は常に混沌の中にあるが、それでもいつも
ある方向に流れて行く。
 私たち国民はその方向を決める力があるのだ。