不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

住宅街の中のイチョウの木

 12月2日だというのに、我が家の朝顔はまだ咲い
ている。 

 日曜日の特売のためにいつものスーパーに行く。
 ここ数日は平均気温の日が続いている。
 今日は風が少し強いのだが、小春日和の陽気である。

 内科医院の隣の家の庭には、イチョウの木がある。
 街中の街路樹ではイチョウはごくポピュラーなもの
であるが、住宅街に入るとイチョウの木は殆ど見かけ
ない。 
 一般の家庭ではイチョウの木は好まれてはいないよ
うだ。
 その理由も大体推測出来る。
 落ち葉の季節になると、葉の始末に大きな手間がか
かる。どっさりと落ちるので、放っておくわけにはい
かない。
 また、その木が銀杏の出来る木だったら、大変であ
る。銀杏が取れて、お腹一杯食べられて良い、という
利点もあるにはあるのだが、銀杏はそんなに沢山食べ
られるものではない。食事代わりになるようなものだ
ったらもっと人気も出るのであろうが、残念ながら銀
杏はそういうものではない。
 飽きられた銀杏は落下するにまかせられることにな
り、その後は地上で特有のにおいを発することになる。
 銀杏爆弾である。
 この爆弾は、瞬間的なものではなく持続性がある。
 毎日その木の下が、特有のにおいで包まれてしまう。
 これだけ科学的分析が進んだ世の中でも、生長前の
イチョウの木の雌雄の見分けは出来ないそうだ。
 大きくなってみるまで雄か雌か分からないのだ。
 これでは、おいそれとイチョウの木を植えるわけに
は行かない。
 落葉はともかく、銀杏爆弾の攻撃には人間は閉口し
てしまっているからである。
 大きく成長してしまってから、あっ、これは銀杏が
出来る木だから引っこ抜こう、というわけには行かな
いのだ。

 私が見た住宅街の中のイチョウは幸いにも銀杏の出
来ない木のようだ。
 紅葉した別の木の横にあるそのイチョウは、黄色く
輝いて周囲の家々を照らしていた。
 イチョウの木の黄色は、実に鮮やかだ。
 だが、その鮮やかさもほんの一時である。
 イチョウの鮮やかさは、時の移ろいのなかでの見事
なアクセントである。