不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

地震の国で

 地震は怖い。
 私は、地震は本当に苦手である。
 どんなにぼんやりとした日常を送っていても、地震がくると、即座に
意識が覚醒してしまう。
 今朝のように日曜の朝だったりすると、私のぼんやり加減も平日以上
なのだが、あれだけ揺れると、目は覚めざるを得ない。
 どのように自分の意識を変えようと思っても、地震だけは怖いのだ。

 阪神大震災の後、当地に縁故を頼って引っ越してこられた方々のお話
を伺うと、その恐怖心はよりいっそう募るばかりである。その方による
と、テレビや雑誌に載っている情報というのは、実状のほんの一断面を
伝えているだけだという。
 実際には、現地の惨状はメディアにも、載せられないほどのものであ
ったそうだ。中でも、自殺の多発には本当に滅入ってしまったそうだ。
 自殺は通常は事件扱いされず、ニュースにはならないため、国民は知
らされていないのだが、あの震災の後には、エッあの人が?という人も
自ら命を絶ってしまったらしい。
 「そこらじゅう、近所でも、ボコボコと・・・」
 自殺の場合、起こったとしても、取材しにくいし、記事としてもまと
めにくいのであろう。対立関係を軸に記事を構成していく一般メディア
にとって、自殺は扱いにくいテーマである。まして、自然災害の結果と
しての自殺となると、紙面に残る悲惨さは通常の事件・事故を上回って
しまう。
 地震そのものよりも、その後の自殺で相当数亡くなっているそうだ。
だが、その自殺者の数は、今後も発表されることはないだろう。これも、
二次災害と言えるのだろうか。
 普通は自分の周囲で、そんなに連続して自殺が起きることはない。
 隣人も、大事な環境を構成する仲間である。その仲間が、急に去られ
ると、残された者の衝撃は計り知れない。
 故郷を去り、気分を入れ替えないと、自分もとても生きてはいけない、
とその人は語っていた。

 この国は、地震の国である。欧米人には、理解も想像もできないほど
地震に襲われる。
 この国に住む以上は、覚悟はしておかなければならないが、私の心象
は、地震のたびに大きく揺れてしまい、恐怖心はなかなか去らない。