では、狂信とは何か?
当ブログの見解を記していく。
狂信と完全な信仰は、外見としては同じように見える。
熱心な信仰者の姿が、そこにあるように感じる。
だが、それは外見だけである。
内実は大いに異なる。
何が異なるのか?
完全な信仰は、純粋であり、不純物がない。
エゴはない。
一方、狂信は、中に強烈なエゴを含んでいる。
そのエゴは、静かに生き続けていて、狂気へ変容する機会を待っている。
そして、狂気は、時折露出し、世間を眺め、主張し、再び引っ込む。
私は、これまでの人生において完全な信仰を持った人には、殆ど会ったことがない。
ほんの数人である。
狂信者は、沢山いる。
彼等はエゴとともに信仰生活を行ってきた。
私は彼等を他山の石として、自らを反省する材料として使わせてもらっている。