不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

推論頼みの言語。

 

   日本には○○の日がたくさんある理由についての記事である。

  この記事の中で私の興味を引いた部分があったので抜粋して記す。

 

言語学者の長島平洋は、1999年に「日本笑い学会」に寄せた論文のなかで、日本語には奈良時代(710-794)、万葉集の頃からダジャレが存在していたと述べている。

日本語は、音声上の最小単位である音素の数が比較的少なく、ダジャレをつくりやすい。長島によれば、日本語ではたった111の音素から、45万語以上が生まれているという。その結果、同音異義語の数が多くなり、言葉遊びのきっかけがますます増えていくのだ。

また、日本語はきわめて推論頼みの言語でもあり、書き手が簡潔に情報を伝達する能力と、読み手が正しい意味を推論する能力の両方に重きが置かれる。食べ物にまつわる記念日の多くがその日付に由来すると知らなければ、「○○の日」はただの謎になってしまうだろう。言語学者のR・アラン・ブラウンは、かつてこう記した。

「日本語には、すでに共有されている情報や文脈からわかる情報を、わざわざ表現せずに省略する傾向が強く見られる」 引用ここまで

 

 なるほどぉ。

 考えてみたこともなかった。

 >日本語ではたった111の音素から、45万語以上が生まれているという。その結果、同音異義語の数が多くなり、言葉遊びのきっかけがますます増えていくのだ。

 同じ音なのにまるで違う言葉、言い回しはたくさんある。

 気、木、黄、器等などすぐに思いつく。

 >日本語はきわめてでもあり、書き手が簡潔に情報を伝達する能力と、読み手が正しい意味を推論する能力の両方に重きが置かれる。

 主語が略されることが普通なのは、言語としては珍しい。

 その他にも様々な部分を省いた上で読者に推論を強要し、読者もそれを普通のこととして読んでいく。

 忖度という文化を生んだ国の言語の特徴と言えるだろう。