翌日は告別式である。
式場に行く。
幸いにも晴天である。
式場に着く。
場内ではキーボードによる生演奏が行われている。
それらしい曲が続く。
使用楽器の関係であろうがサウンド的にちょっと安っぽい。
この式場が用意する楽器はこんなものなだろう。
式の開始時刻となった。
司会者が、僧侶の入場を告げる。
合掌で迎える。
読経が始まる。
この僧侶は、多くの曹洞宗の読経とは違うな。
同じ曹洞宗でも、寺によって読む経典や順序が異なっているようだ。
祭式に決定版など無く、各寺で都合に合わせて読経しているのだろう。
焼香になり、席を立つ。
並んで焼香し席に戻る。
読経が終わった。
続いて御詠歌が始まった。
へぇ~、曹洞宗で御詠歌とは珍しいな。
このあたりの地域では、殆ど無いことである。
ノドに自身があるのか、寺の伝統なのか?
でも、特別上手でもないな。
そして、喪主挨拶となった。
旦那さんがマイクの前に立つ。
「妻は私の我儘を常に受け入れてくれました。私だけではなく接するどの人
に対しても優しい心遣いがありました。皆に好かれる良い女性でした」
旦那さんの声は明瞭でよく通る。
元学校の先生だけあって、話し方が上手だ。
情感がこもった熱い言葉が続く。
特別なことは言っていないのだが、説得力がある。
後ろの席では嗚咽が漏れているようだ。
喪主挨拶でこれほど、参列者の心を揺さぶることは稀であろう。
挨拶が終わると、棺に花を納める。
親族が花を入れていく。
遺体となった故人の周りに花で埋める。
花もつい数時間前まで生きていたのに、このために用意され、棺に入れられる。
一種の道連れである。
棺の蓋が閉じ、式場外に運ばれていく。
霊柩車に載せられる。
参列者はその様子を見守る。
家族が霊柩車の横に並んでいる。
そして、ここでも司会者が喪主に挨拶を促す。
うわぁ~、これは残酷だな。
喪主は、喪主挨拶で気力を振り絞っていて、既に脱力状態であろう。
それなのに、なおも挨拶を要求してくる式場関係者は、鬼である。
ビジネスとして行っているので、そんな繊細な心の動きまでは気が回らないの
だろう。
実に鈍い奴らである。
ちなみに私の時には、この場での喪主挨拶は無かった。
今の流行りなのか、それで新たに取り入れたのか?
いずれにせよ呆れる。
旦那さんも放心状態で促されて仕方なく、もう一度挨拶をした。
親族たちがバスに乗り込む。
霊柩車がゆっくりと走り出しだ。
これで行事は終わりだ。
おじさん、2度も挨拶をさせられ、お疲れさまでした。
そして、おばさん、さようなら。