不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

マイナンバーカードを受け取りに行った。その①

 マイナンバーカードを受け取りに市役所に行った。

 通知の封書は既に8月に届いていたが、放置していた。

 早く受け取れば特典が付く、ポイントが付与される、何か割引になる、といったわかりやすいメリットがあればすぐにに行っていたであろう(笑)

 目先の得に動かされやすいようだ。

 受取期限は来年2月なので、なおも放置する可能性もあったが、不図気が向いたので受け取りに行くことにした。

 市役所に到着した。

 受け取り場所は市民課となっている。

 マイナンバー用の窓口が見える。

 2つある窓口は対応中である。

 私は窓口後方の待機者用の椅子に座って待とうと、腰掛けようとしたところ、横から女性の声がかかった。

 「あそこの発券機で券を取ってお待ち下さい」

 職員が発券機の方を指差すのだが、どれが発券機なのか、見てもすぐにはわからない。

 カウンターの上にはモニターやタッチパネルなどいろいろ置いてあり、一目で判別するのは難しい。

 私は発券機を見つけ券をとり椅子に座った。

 カウンターでは係員がいろいろ説明している。

 ただ来て「はい、どうぞ」と渡されるものではなさそうだ。

 マイナンバーカードで待っているのは、私だけのようだった。

 特に混んではいないようだ。

 少しして私の番になった。

 私は身分証明等書等の持参を支持されたものを提出した。

 職員はそれらを受け取りトレーに載せた。

 「暗証番号をこの書類に書いていてください」

 職員はそう言うとわら半紙のプリントを差し出した。

 ここに暗証番号を書くのか。

 「予め暗証番号を考えておくようにご連絡していると思います」

 へぇ~、そうだったのか。

 書類のどこかに載っていたのだろうが、私はその部分を飛ばして読んでいたようだ。

 

 ~続く~

 

 

 

台風と雑草を祈る。

 私は神社・仏閣に参拝した際、最も力を入れて祈るのは自然関係の事柄である。

「台風が来ませんように」

「雑草が生えませんように」

 台風が絶対来ないということはないまでも、暴風円直撃は止めてほしい。

 普通程度の台風ならまだしも災害が出るような台風は来てほしくない。

 雑草も同様だ。

 雑草が一本も生えないということはなくとも、生えまくりというのは止めてほしい。

 ちょろっと生えるだけにしてほしい。

 自然現象の前に人力は実に弱い。

 自然現象担当である神に頼るしか無い。

 たまたまなのか、今年は台風も雑草もその害を被ることがなかった。

 これを偶然と言って忘れ去るか、祈りが通じたと受け取るか。

 私は祈りが通じたとしている。

 特に雑草の方は顕著に見える。

 「ハハハ、そんなのたまたまだよ」という声もあろう。

 さて、来年はどうなるか?

 台風はともかく、雑草には注目している。

 来年も雑草が生えませんように。

 

 

雑草の処理をした。その⑤

 家に着いた。

 例年なら続いて家の近くの場所の雑草処理に取り掛かるのが恒例である。

 だが、私はその作業をすっかり忘れてしまっていた。

 気がついたのは翌日である。

 おそらく懸案だった場所の雑草があまりにも少なかったため、気分的に舞い上がっていたためであろう。

 嬉しいと同時にとても意外な気がして内心動揺していたのだろう。

 私は翌々日にその場所の雑草処理に取り掛かることにした。

 まず、下見をする。

 家から至近距離なので、すぐに見に行ける。

 さて、こちらはどうなっているのか?

 昨年は、こちらも雑草が生えまくり、私の胸の当たりまでの高さまで生えていた。

 やはり灌木化した雑草も2~3本あった。

 手で引っこ抜こうにも抜けなかった。

 仕方がないので除草剤をたっぷり散布しておいた。

 行って見てみる。

 あれ?

 ことらも雑草が少ないな。

 ゼロではないが、申し訳程度に生えているだけだ。

 灌木化した雑草が一本だけ生き残っていた。

 私は家に戻り、除草剤の希釈液を作る。

 あの程度の雑草なら500ccもあれば十分だろう。

 私は現場に戻った。

 私は生き残りの灌木を手で引っこ抜いた。

 抜けた。

 今年の灌木化雑草は手で抜ける程度の強さしかないようだ。

 私は除草剤を散布を始めた。

 その作業もすぐに終わることが出来た。

 液はたくさん残った。

 おぉ、こんな年は初めてだ。

 これも、各種寺社で「雑草が生えませんように」と祈っていたお陰なのか?

 「そんなの偶然だよ」という意見もあろう。

 だが、隣接する場所では例年通りの勢いで雑草は生えているのだ。

 う~ん、不思議だ。

 私は、これは祈りが通じたと受け取ることにした。

 いずれにせよ、これは有り難いことであるが、実際に起こると幾分動揺してしまう。

 単純に「ラッキー!」と喜ぶだけではない。

 これが畏れというものなのか?

 私としては、これが来年以降も続いてくれると嬉しいのだが、来年のことは神のみぞ知る、であろう。