不二家憩希のブログ

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蘇民将来の神社に行った。その⑱

 私は三つの拝殿で拝礼を終えた。
 次は蘇民将来の側の縦の並びにある摂社にもお参りす
る。
 摂社は一つ一つが独立しておらず、長屋のように繋が
っている。
 他所の神社では中心扱いの神が、小さな扱いとなって
いる。
 このあたりが面白い。
 何が何でも中心に大きく祀ってくれ、という主張がない。
 ここの主たる祭神の顔を立てている。
 摂社には有名な神の他に、よく知らないような神も祀
られている。
 よく知らないと言っては失礼だが、神話では明らかに
脇役の神である。
 それらが隣り合っていたりする。
 そうした扱いにも鷹揚なようだ。
 摂社を見ていても、ドラマを感じる。
 この神社では摂社も丁寧に祀られている。
 それは神道に疎い私でも見ればわかる。
 社が小さいだけで扱い方の違いはつけていないようだ。
 これらの摂社もここに祀られるまでには、いろいろと
経緯があるのだろう。
 謂れが知られていないだけで「えぇ~、そうなんだ!」
というエピソードがあるのだろう。
 祀られるには祀られるだけの理由がある筈である。
 神社関係者のその時の気まぐれで祭祀が始められた
ということはあるまい。
 それらを秘めて摂社は小さく立っている。

 ~続く~