次は蘇民将来の側の縦の並びにある摂社にもお参りす
る。
摂社は一つ一つが独立しておらず、長屋のように繋が
っている。
他所の神社では中心扱いの神が、小さな扱いとなって
いる。
このあたりが面白い。
何が何でも中心に大きく祀ってくれ、という主張がない。
ここの主たる祭神の顔を立てている。
摂社には有名な神の他に、よく知らないような神も祀
られている。
よく知らないと言っては失礼だが、神話では明らかに
脇役の神である。
それらが隣り合っていたりする。
そうした扱いにも鷹揚なようだ。
摂社を見ていても、ドラマを感じる。
この神社では摂社も丁寧に祀られている。
それは神道に疎い私でも見ればわかる。
社が小さいだけで扱い方の違いはつけていないようだ。
これらの摂社もここに祀られるまでには、いろいろと
経緯があるのだろう。
謂れが知られていないだけで「えぇ~、そうなんだ!」
というエピソードがあるのだろう。
祀られるには祀られるだけの理由がある筈である。
神社関係者のその時の気まぐれで祭祀が始められた
ということはあるまい。
それらを秘めて摂社は小さく立っている。
~続く~