人生の大半をぼやけた世界を眺めて暮らしてきた。
そのためか、普通だったら見ていそうなものも見ていない
ようだ。
確かにそこに視線を向けて見ていそうなのに見ていないと
いうことがあるようだ。
この”あるようだ”という表現は、何だ?と思われるかもしれ
ない。
説明しよう。
当人である私は見ていなければ、認識されていない。
気がついていないのだ。
したがって、”ようだ”としか言えないのである。
私は元々注意力不足なヒトである。
それに加えて視力も弱い。
自分の周囲に起こっていることに対して、認識力が弱すぎる
のである。
あぁ~あ、である。
ド近眼なのは肉体という期限付きの消耗品の特性上仕方な
いと受け入れるしか無いにしても、注意力不足は何とかならな
いものか?
と言ってピリピリと張り詰めて暮らすというのも私には合わな
いような気がする。
持ち味を殺してしまうことにもなる。
それは避けたいなぁ。
でも、注意力不足で実害被ったことはいくつもある。
さて、どうしたものか?
人生は悩みが尽きないものである。