今日ではタバコは人体に害を及ぼす、という認識は
広く浸透している。
常識化している。
この認識は、いつ頃発生したのだろうか?
歴史をさかのぼってみる。
カンによって始まった。
当初は、聖なる儀式の供え物の一種として始まった
ようだ。
精神に軽い酩酊を引き起こす喫煙は、神との一体感
を想起させる行為として尊重された。
また、他者との友好の印として同じパイプをまわし喫
煙するというコミュニケーション・ツールとしての機能も
あった。
このパイプのやりとりは、後のインドにおいても根付く
こととなる。
にもたらされた。
その後、急速に世界中に広まって行った。
そのスピードは、かつて無いほど急速だった。
第2次対戦前までは、喫煙は成人男性のたしなみの一
つとされていた。
たばこは吸って当たり前だったのだ。
日本は世界的にも特に喫煙率が高かった。
男性の75%は喫煙者だったとされる。
たばこの製造販売を国の専売制にしていたところからも、
喫煙率の高さは思い起こされることであろう。
国は確実に儲かることは、国の独占事業としたがるもの
である。
たばこは、まさにうってつけだった。
こうした圧倒的なステイタスを獲得したたばこである。
だが、今日ではかなり旗色が悪い。
喫煙が、人体に悪影響を及ぼすと言われ始めたのは、20
世紀に入ってからであろう。
それ以前の文献には、たばこの害についての報告はほと
んど見当たらない。
20世紀以降、研究者や臨床の現場や喫煙者自身からの
声により、喫煙の害がささやかれ始めた。
その頃は、ささやき声だった。
喫煙が疾病の要因であるとされる報告が、世界中から伝
えられるようになった。
ささやき声も数が増せば、大声となる。
少しずつ音量は増していった。
同様に健康被害に嫌疑がもたれることが多い飲酒やコー
ヒーは、時にプラス面も発見される。
その地位は揺らぐことは無いく、ほぼ安定している。
たばこは、そうした援軍が一つも無い。
常にマイナス、マイナスの連続である。
今日では喫煙者は、社会の隅に追いやられている。
その潮流は今後変わることは無いものと思われる。
かつての隆盛は、見る影もない。
栄枯盛衰、盛者必衰である。