ロンドン・オリンピックにはいわゆるプロの選手も
何種目かに出場している。
プロ選手がオリンピックに出るなんて、かつては
決して考えられないことだった。
出場に当たって、この選手は本当にアマチュア
か、ということが厳しく問われていた。
過去にプロ経験があるなどということはもっての
外、現在の活動についても調べられた。
テレビCMなどにも簡単には出られなかった。
CMに出れば、ギャラが発生し、プロではなくなっ
てしまう、と考えられていたからである。
出られるCMもオリンピック協賛企業によるオリン
ピック関連のもののみに限定されていた。
ギャラは、その国のオリンピック委員会に支払わ
れ、選手側には届かなかった、
それらのお金は選手育成などの費用に充てられ
た。
それが常識だった。
昔はプロ・アマ論争が日常的に論じられていた。
アマチュアとは何かについて、多くの人が語ってい
た。
オリンピックが近付くと、その論争が一層熱くなっ
ていた。
「オリンピックはアマチュアによるクリーンなもの」と
いう認識があった。
アマチュアは清潔で美しい、そう捉えられていた。
そうした考え方こそがオリンピック精神の根幹であ
る、と皆が思っていた。
私は小中学校でもそう教わった。
「オリンピック=アマチュア世界最高の祭典」だった
のだ。
それが今ではプロが出ていても当たり前になって
いる。
こういうことになるとは、子供の頃は思いもしなか
った。
オリンピックとは永遠にそういうものだと思っていた。
世の中、何が起こるか、何が変わるか、わからない
ものである。