不二家憩希のブログ

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P・フォーク~コロンボ警部を生み出す。その⑥

 ”刑事コロンボ”の原作者コンビ・リンク&レヴィン
ソンについて簡単にご紹介する。
 ウィリアム・リンクは、1933年12月15日フィラデル
フィア生まれ、リチャード・レヴィンソンは翌34年8月
7日同じくフィラデルフィア生まれで9月始業の米国で
は二人は同級生である。
 二人は中学校の入学式の日に出会い、すぐに友
人になった。
 二人ともミステリー小説、マジック、映画・舞台が
大好きで、本の貸し借りや観劇や情報交換をしてい
た。
 中学生の頃から共同でシナリオを書き始め、自前
のラジオ番組をワイヤー・レコーダーで録音して楽し
むようになる。
 高校生になると、二人は自分で小説を書き雑誌に
応募をし始めた。
 二人の共同執筆は社会人になっても続き、1959年
にはテレビドラマの脚本で映像デビューを果たす。
 その後もコンスタントに活動は続き、”ヒッチコック
場”などにも作品を提供している。
 このコンビは本当に二人で書いていたそうで、この
点でミステリー小説の大家で同様にコンビであったエ
ラリー・クイーンとは異なる。
 エラリー・クイーンは、従兄弟同士のフレデリック・ダ
ネイとマンフレッド・リーの共同ペンエームで、二人で
作品を書いていた。
 と言っても、彼らの執筆は分業制だった。
 作品のプロット(筋立て)やトリックを考えるのはダネ
イで、それを文章にし小説化するのがリーの役目だった。
 だが、ダネイはロスアンゼルス在住で、一方リーは
ニューヨークに住んでいた。
 そのため、ダネイが電話や手紙で思いついたプロッ
トやトリックを伝え、それを二人で議論した末リーが執筆
していた。
 こうしたスタイルが明かされたのは、かなり後年にな
ってからで、作品発表当時はエラリー・クイーンという作
家自体が謎に包まれた存在とされていた。
 リンク&レヴィンソンは、こうしたスタイルではなく、文
字通り顔を突き合わせて二人で書いていた。
 二人は、ピーター・フォークとは6歳差の同世代で、映
像デビューもほぼ同時期である。
 リンク&レヴィンソンは、フォークが大型映画に出演す
るスターになる前からの知り合いで、ニューヨークでよく
朝食を伴にしたそうだ。
 そして、”刑事コロンボ”の大成功により、フォークは大
スターに、リンク&レヴィンソンは大物脚本家・プロデュ
ーサーになるのであった。
 
 ~続く~