不二家憩希のブログ

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ピーター・フォーク 刑事コロンボへの日々 その41

 ”殺人処方箋”は、1968年2月20日に米国で放
送された。
 この年の10月にはフィンランドスウェーデンで、
翌69年11月には西ドイツで放送されている。
 日本では、これより大きく遅れ1972年8月27日
の放送だった。
 この頃には、既に”刑事コロンボ”がシリーズ化
され全世界で大ヒットしていており、”殺人処方箋”
は幻の第一作として放送されたのだった。
 つまり、”殺人処方箋”は68年の時点において
は日本のテレビでは取り上げられなかったのである。
 こうした海外ドラマの場合(殆どは米国ドラマであ
るが)、NHKでは海外ドラマの担当者、民放では映
像配給会社が、日本でも人気が出そうな作品を探し
買い付ける。
 今でこそ、インターネットなどによりオンタイムで全
世界の情報が入手できる。
 音声も映像も簡単にやりとり出来る。
 だが、当時はそうはいかなかった。
 サンプル映像のビデオカセットすら無かった時代で
ある。
 現地でのその番組の人気ぶりを伝える新聞や雑誌
といったメディアの報道を読んで情報を集める。
 担当者は、年に数回渡航して自分で観て買い付け
を決める。
 連続ドラマとなれば、一種の”まとめ買い”なので慎
重にならざるを得ない。
 単発ドラマでも、(これは日本では受けないだろう)と
判断されれば、選から漏れる。
 ”殺人処方箋”は、そうしたドラマの一つだったようだ。
 何しろ、刑事ドラマにしてはアクションシーンも無けれ
ば発砲シーンも無い。
 主人公が危険に遭遇しながらも、事件を解決してい
くというものでもない。
 買い付け担当者の目に適わなかったとしても、当時と
しては無理もない話である。
 
 ~続く~