不二家憩希のブログ

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ピーター・フォーク 刑事コロンボへの日々 その42

 1968年当時に”殺人処方箋”の放送がされなか
った国は日本だけではなかった。
 フランスでは、76年11月12日まで放送されなか
った。
 76年といえば、”刑事コロンボ”は既に世界的な
人気を確立した頃である。
 これは、おそらく放送局の担当者が「これは”刑
コロンボ”とは、ちょっと感じが違うからなぁ」と
いうこと見送られてきたものと思われる。
 では、”殺人処方箋”とは、どのような作品だっ
たのか。
 いつものように、ネタバレをしないようにストーリ
ーを記す。
 ”刑事コロンボ”にネタバレなんて、あるのか?
と思われるかもしれないが、これが当ブログの作
法なので、それを踏襲していく。
 高名な精神科医師フレミング氏が、愛人と共謀
し妻を殺害する。
 それをロス市警察殺人課のコロンボ警部が、解
明するというものである。
 この作品では主役は、コロンボ警部ではなく、犯
人であるフレミング医師である。
 犯罪を犯してしまい徐々に追い詰められていくフ
レミング医師の苦悩を描くという、当時のミステリー
ドラマの常識を覆す異色の試みがなされた作品と
いえる。
 後に”刑事コロンボ”が大ヒットし、こうした展開の
ドラマが珍しくなんともなくなっていったのだが、68
年当時としては斬新な作品といえよう。
 日本やフランスの海外ドラマ買い付け担当者は、
”殺人処方箋”を見て「これは、ちょっと当たらないか
もしれないなぁ」と思ったのではなかろうか?
 また担当者自身が、(面白い!)と思っても、視聴
者の反応を予測すると購入に二の足を踏んでしまっ
たのではないだろうか。
 私がその担当者だったら、どうしていただろうか。
 買い付け予算がじゃぶじゃぶと余っていたのならば
別だが、そうでなければ私も買わなかったと思う。
 作品の質は極めて高いが、ちょっと難しいので視聴
者には受けないだろう、と判断していたと思う。
 
 ~続く~