不二家憩希のブログ

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「ウィ・アー・ザ・ワールド」の思い出 その⑥

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 私は偶然かつて「ウィ・アー・ザ・ワール
ド」でマイケル・ジャクソン氏と共演したミ
ュージシャンからの追悼のコメントと「ウィ・
アー・ザ・ワールド」の思い出について書か
れた文章を見つけた。
 それはジャーニーの元のボーカリスト・ス
ティーブ・ペリー氏のものだった。
 公式ファンサイトに載せられたそれらのコ
メントを訳して載せる。
 なおこの訳は私の訳でいい加減なものなの
で、英語に堪能な方は原文をお読みください。
「僕はライオネル・リッチーのマネージャー
のケン・クラゲンから連絡をもらったんだ。
彼はライオネルとマイケルが「ウィ・アー・
ザ・ワールド」と言う曲をU.S.A. For Africa
っていう集まりのために作ったって言うんだ。
彼はその曲を沢山のミュージシャンと録音す
るのだけど興味があるか、って聞いてきたん
だ。勿論さ、って僕は答えたよ。それはファ
ンタスティックなことになりそうだね、って」
「コーラス部分の録音が終わり、ヴァース
(参加メンバーが交代に歌う部分)にとりか
かることになった。床にそれぞれの名前のテ
ープが貼ってあって、自分が歌う時には一歩
前に出て歌うってことだった。床をチラッと
見るとグレーのダクト・テープが貼ってあって、
マイケル・ジャクソンティナ・ターナー
レイ・チャールズ、ブルース・スプリングス
ティーン、ビリー・ジョエル、シンディー・
ローパー、ダイアナ・ロス、ケニー・ロギン
ス、その他にも沢山の名前があってびっくり
したよ。それで床を見ると、自分の名前もあ
ってとっても神経質になったよ」
ライオネル・リッチーは僕にちょっと早い
って言って、僕の歌うタイミングについて議
論を始めたんだ。僕はそれについて意見が合
わなかった。でも一旦歌が始まったらタイミ
ングは僕が決めるんだ、僕を信じてよ、だよ」

 当時スティーブ・ペリー氏自身も既に大ス
ターだったのに、他の大スターの名前を見て
驚いてしまった、というところは面白い。
 そしてたった2小節ずつの歌唱なのに念入
りな打ち合わせが行われていたことにはさす
がプロの仕事だと思わせるものがある。

 なおニュアンス優先で訳したので違ってい
る部分もあろうかと思いますが、ご容赦くだ
さい。
 訂正等はコメント欄で受け付けさせて頂き
ます。
 ~続く~