不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

漁協による捜索が無念の打ち切り。

 イージス艦「あたご」と衝突した漁船清徳
丸に乗っていた吉清治夫さんと哲大さん親子
について、千葉県勝浦市の新勝浦市漁協川津
支所は25日朝、強風のため現場海域での捜
索再開を断念し、今後の独自捜索も打ち切る
ことを決めた。
 勝浦市川津地区では海難の場合、1週間は
捜索を続けるというならわしがあるそうだ。
 今回は捜索の続行も検討されたが、折から
の強風もあり現場の海は高波で危険な状態に
ある。 
 治夫さんの兄、高志さんから「二次災害の
恐れもある。中止してくれ」との申し出を受
けて船団会議を開き、最終的な打ち切りを決
めたそうだ。
 治夫さんのおば、板橋よし子さんは「ほか
に犠牲が出ても大変。ここまで捜索してくれ
て本当にうれしい」と涙声で話した。
 漁協の役員の市原さんは「もっともっと続
けたいのが本心だ。でも、みんなのことを考
えると、どこかで線を引かなくてはいけない」
と話した。
 他の漁船乗組員は「家族だって、内心は捜
してほしいに決まっている」と話し、別の若
手乗組員は「こんな終わり方じゃ、あきらめ
きれない」と話した。
 外記栄太郎組合長は「捜索に全力を挙げた
が、残念ながら手がかりはなかった。今後も
操業しながら見つけたい」と集まった漁師ら
に話した。
 哲大さんの幼なじみの親類で、事故当時、
僚船に乗っていた中ノ谷篤さんは「2人を見
るまではあきらめない。漁で出た際は目を凝
らして捜す」と語った。
 打ち切り決定後、地元川津港では船が海難
事故に遭った際の後始末を意味する「浦じま
い」が行われた。
 これは事故後1週間を節目として行われる
そうだ。
 浦じまいには被害者の霊を鎮めて再発防止
を祈り、事故のけじめをつけるという意味が
ある。 
 漁港には地元住民約200人が集まり、悲
しみをこらえながらいつまでも海に向かって
手を合わせていた。
 2人をよく知る唐木丸の唐木功船長は「同
じ海域まで出る漁師たちをこれからは守って
くれるように、そして『早く上がってこいよ』
と祈りたい」と話した。

 弛みきった海上自衛隊の連中は、このニュ
ースを見てどう思ったのだろうか。
 事故後14分も被害者をほったらかしにし
て眺めていたような人達だから、何も感じな
いかもしれない。
 軍人はもともと鈍い人がなるものだが、自
衛隊の鈍さは限度を超えている。
 
 安定の中に惰眠をむさぼる軍人たちは、確
実に腐敗していくものである。