不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

目覚まし時計の電池が切れた。

 朝起きる時、目覚まし時計を見ると針は9
時半を指していた。
 止まっている。電池が切れたか。
 私は起きる時には目覚まし時計を使わない。
起きたい時刻になると目が覚めるのである。
 それに私は、目覚まし時計のベル音があま
り好きではない。あの音は心臓に悪いのでは
ないかと思っている。
 加えて機械の分際で人間様に起きろ!など
と命令するとは、分をわきまえていないのに
もほどがある。
 起きていただけませんか?くらいのソフト
な物言いが出来ないのか。
 今では目覚まし音を自分で録音出来るもの
もあるようだが、自分で自分を起こすのに自
分の声を使うというのも気持ちが悪い。
 かと言ってどなたかに頼むと言うのも気が
引ける。
 そんなことを頼めば100%呆れられることは
目に見えているからである。それに、これ以
上人さまに呆れられるのは避けたい。

 もっとも私は幸いにも自動的に目が覚める
ので目覚まし時計は必要ないのかもしれない。
 寝過ごすということも、滅多に無い。
 元々睡眠時間を十分にとる方なので、体の
方が「もう起きろよ」と言うことで目を覚ま
させるのかもしれない。

 それでは、何故目覚まし時計を使っている
のか?と問われるかもしれない。
 それは、大きさが程よいからである。
 腕時計となると小さ過ぎるし、壁掛け時計
は大き過ぎるのだ。
 目覚まし時計の微妙な存在感が私は好きな
のである。

 だが、奴らにアラーム音は使わせない。
 朝一番から機械に命令されて生活がスター
トするとは、不愉快極まりないからである。
 人間の心身両面における退化は、機械に頼
り過ぎることからより進行してしまう、と思
う。
 機械化された行動は人から柔軟性を奪い、
それは生命力の枯渇に直結してしまうと思わ
れる。
 目覚ましを使わず自分で起きると言うこと
は、私にとって機械に対するささやかな抵抗
でもあるのだ。