不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

可燃ごみを出す。

 私の住んでいる地区は、毎週火曜日と金曜日は可燃
ごみの収集日である。
 溜まったごみを出すことにした。

 私もごみは普段から分別しているのだが、やはり可
燃ごみが最も多いと思われる。
 古新聞や新聞チラシも一応はごみに区分けされてい
るのだが、それらは資源ごみと呼ばれ、そのステイタ
スは可燃ごみよりも高いものとみなされている。
 資源ごみ、とは面白い名称ではあるが、これはおそ
らく再資源化可能ごみの略である。
 一つの単語に、資源とごみという相反するものが接
合しているのである。普通はありえない成立の履歴を
持った単語である。ごみか資源かはっきりしてくれ、
と言いたくなってくる。
 では、可燃ごみはどうだろうか。
 これは、もう焼却するしかないごみ、ということな
のであろうか。
 だが、可燃ごみは燃えるだけまだマシ、という見方
も出来る。灰になれば容量は激減し炭化すれば別の用
途も生まれてくる。また当地では、可燃ごみの焼却時
の熱でお湯を沸かし、いわゆる市民銭湯を運営してい
る。
 だが、燃えないごみもある。
 それらは、不燃ごみと呼ばれている。
 再資源化も焼却も出来ず、あとは埋め立てるか積み
上げるかしか方法が無いのである。
 自治体によっては、高出力の焼却場でほとんどのゴ
ミを燃やしてしまう施設を持っているところもある。
 それはある意味理想的ではあるが、それだけ燃やす
のには燃料が余計に必要となってきてしまう。
 ゴミは残さないが、燃費はかかる。
 一体エコロジーとは何なのだろうか?

 この世は、ジレンマに囲まれた世界である。
 私達は、目の前でうごめく葛藤のなかから最善の策
を見つけ出し実行していくほかはないようである。
 このような不完全な世界で完全を目指すと言うこと
は、いつの世も骨が折れるのである。

 私は、可燃ごみを集積所へ持っていった。
 冬の日の朝の空気は、年始ほどではないが、やはり
冷たかった。