不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

生きているサイレンの時報

 私の住んでいる町内の消防派出所の火の見櫓では、
朝の6時半と昼の11時半の一日2回、サイレンを一回
ずつ鳴らしている。
 市内では、当町内のほかには3ヶ所で公共施設がサイ
レンを鳴らしている。
 他の地区では、当町内と同じように消防派出所で鳴ら
していたり、または公民館で鳴らしているとこともある
そうである。
 どうして、災害でもないのにサイレンを鳴らすのか?
ということなのだが、このサイレンはもともとは時報
ために始まったそうだ。
 これは、お寺の鐘が戦時中の金属供出で無くなってし
まい、時を知らせる公共的な装置が消えてしまったので
サイレンで代用した、という歴史的事実とも関係してい
るのである。

 公共施設による時報のサービス、いい感じである。
 私は役所や役人がすることには、何かと批判的になっ
てしまう方なのだが、こういうのは無抵抗に好きである。
 今頃、時計の無い家などあるはずもないのに、時報
してサイレンを鳴らす。
 ちょっと無駄な感じもするけれど、その無駄な感じが
良いのである。
 勿論手動ではなくタイマーで鳴らしているので、時刻
は少々ずれている。そこがまた良い。

 当地も日本の各地と同じように、かつては農家が多か
った地域である。
 朝の6時半のサイレンは仕事始めを知らせていたのだ
ろう。昼の11時半の方は、そろそろお昼になりますよ、
お昼の準備をしてください、という趣旨があったのだと
思われる。
 現在のサイレンによる時報は、その頃の名残りであり、
慣習的に続いているに過ぎないのかもしれないのだが、
それを止めずに続行中というのが、良い。

 電波時計も普及しつつある、これら精密機器の分野で
も世界のトップを行く日本で、サイレンによる時報がい
まだに生きているのである。

 この日常生活の中に生きているギャップは、私に日本
の美しさと懐かしさを感じさせてくれる。