不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

日本が勝っていたら。

 法律関係の事務所に用事があって行った時の話である。
 その事務所は、親子で運営されているのだが、現在のメ
インは息子さんの方で、親父さんはたまに来る自分をご指
名の顧客の仕事をしているだけのようだった。
 事務所には、若先生と女性の事務員と大先生の三人、そ
して近くの事業所の作業着姿の社長がカウンターに寄りか
かって、新聞の朝刊を読んでいた。
 この社長は毎日この事務所に寄って、大先生と世間話を
していくのが日課のようだった。

 私は、カウンターの手前にある来客用のベンチに座って
若先生の準備が整うのを待っていた。私はぐるっと事務所
の中を眺めていた。
 
 すると、大先生が唐突に社長にこう言ったのである。
「あの戦争に日本がアメリカに勝っていたらなぁ」
 この発言には、事務所内の空気が一瞬冷たくなった。
 これは随分と思い切ったお言葉である。そう思ったこと
が、仮にあったとしても、なかなか口に出すような種類の
言葉ではないからである。
 そして大先生は、続いてこう言った。
「戦争に勝っていたら、アメリカは全部日本語になるのに
なぁ」
 こんなことをいきなり話しかけられた社長は、やはり戸
惑っている。
 大先生は70代前半、社長は50代後半といったところ
だろうか。社長はかろうじて戦争の実体験があるが、社長
には戦争は聞いたり読んだりするものでしかない。
 だが、そこはその社長も大人である。引きかけた気持ち
を押しとどめるかのようにこう言った。
「勝っていたら日本はどうなってただろうね」
 ここで、ほんの少し、お二人の間には沈黙があった。
 それから、社長が口を開いた。
「多分、日本は将軍様の国みたいになっていったと思いま
すね~」
 この将軍様の国とは、今の北朝鮮のことである。
 この発言で、事務所の空気は違う色彩を帯び始めたよう
だった。
「そうかもしれんな」大先生は、そう言ったきり黙ってし
まった。発言を引き取ることで、納得したということを示
しているようだった。

 この大先生は、日頃から日本の敗戦に不満を持っていた
のだろうか?それとも、たまたまポロッと口にしてしまっ
ただけなのだろうか?
  
 日本の敗戦は、幕末から維新に始まる軍拡路線を完全に
方向転換させる力を国家と国民にもたらした。
 日清・日露と連勝してしまった日本には、トンボのよう
に前進していくしかなかったのかもしれない。
 常に前に進むことが善である、というのは相撲の世界く
らいのものなのであるが、あの時代立ち止まるということ
は、時代の空気の中では考えられなかったのかもしれない。

 日本が勝っていたら、という仮定で話が進んでいく小説
にフィリップKディックの「高い塔の男」という作品がある。
 私はその作品を大先生に勧めようかな、とも思ったが、
若造がしゃしゃり出ても、と思いとどまった。
 
 ちなみにこの作品の中でも、戦勝国が必ずしも幸せには
なってはいない、という点は現実と同じなのである。

 この事務所の前には、戦争の爆撃で樹皮を大きくえぐら
れた桜の木が立っている。
 この桜は、軍需工場の正門へと続く道沿いに軍需工場の
起工記念に植樹されたものである。
 桜の木は、その時代を見てきたのに沈黙を守っているの
だった。

 私は、その後自分の用事を済ませ、事務所を出た。
 外に出ると、8月の日差しが再び照りつけてきた。 

 8月は、毎年のことなのだが、時間の経過がゆっくりな
気がする。