不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

ご近所さんなのに、顔が分からない。

 小さな庭の雑草むしりを、今日もした。
 心を入れ替えて、大体週一のペースでむしろうと考えている。
 何しろ、前回の草むしりで抜いた雑草が、山のようにたまっ
た。その山を見ると、さすがの私でも、これはいかんだろうと
ようやく気がついたのである。
 私がむしっていると、背中に声がかかる。
「きれいになるねぇ」
 えっ?と思い振り返ると、三輪車に乗ったお孫さんを連れた
おじいさんである。
 声をかけて頂いたのだが、その方がどなたかはわからないの
だ。
 うーん、どの家の方だろう?とは思うのだが、心当たりがな
い。
「えー、まぁ何とかむしってはいるんですが」とか、当たり障
りのない言葉を返すのが精一杯である。
 それから、また少しすると、今度はおばあさんが同じように
声をかけてこられる。
「きれいになるねぇ」
 申し合わせたように、同じことをおっしゃる。
 今までが、相当荒れ放題と見られていたのだろうか?それと
も、それほど意味のない挨拶なのか?
 このおばあさんも、私はよく知らない。
 だが、そのおばあさんは、玄関先にまで入ってこられて、そ
こに置いてある幾つかの植木鉢を覗き込んで、こうおっしゃる。
「アー、この花は、まだ咲かない?あ、つぼみがこんなに大き
くなっているから、今年も咲くわね」
 そのおばあさんは、うちの植木鉢の事情までご存知なのだ。

 このように、私は本当にごく近いご近所さんの顔は判別でき
るものの、それ以外の方は知らないのだ。

 昨年、ごく短期間に2度も喪主を務めたことにより、私の顔
は皆さんに知られることになったものの、私にとって、それが
町内会デビューであったのである。
 両親が、どの程度町内の皆さんとお付き合いをしていたのか
すら、今では分からない。

 何とか、上手に言葉を返しているつもりではある。
 だが、「ところで、お宅様はどこのどなたでしょうか?」と
は聞けない。
 ここが、辛いところだ。
 向こうは、自分のことは当然認知されている、と思って声を
かけてこられるのに、こちらは分からない、知らないのである。

 難しい。
 少しずつ、学んでいくほかに方法は無さそうである。