昨夜と今日は、ご近所のTMさんの奥さんの通夜と告別式だった。
ここでは奥さんと記しているが私にとっては子供の頃からお馴染みのご近所のおばさんである。
したがって、今回は”TMさんのおばさん”と記す。
おばさんは、長いこと体調が優れなかった。
ここ10年ほどは屋外でお見かけすることは一度も無かった。
事情をよく知らない人からは「TMさんの奥さんって家にいるの?」とさえ言われていた。
腰が痛いと訴えていたそうだ。
私が知っていたおばさんの体調の詳細は、そこまでである。
旦那さんと会うことはあっても、奥さんについて尋ねることは控えてきた。
家族が家の外で自分から言いたくなさそうなことを、わざわざ尋ねることはしたくなかった。
当地には、そうした配慮の無い人も一定数はいるが、彼らは他山の石として機能している。
おばさんは、品の良い人だった。
他のご近所のおばさんとは、はっきりと違うことは子供の私にも感じ取れた。
育ちが良かったのだ。
おばさんは、地元の上場企業の創業家のご令嬢だった。
小学校の”郷土の学習”の場面では、地元を代表する企業して真っ先に名前が挙げられる会社だった。
不偏不党が原則であろう学校教育の場でも、何ら躊躇なく取り上げられる会社だった。
テレビやラジオのCMも常に流れていた。
地元住民に多数の雇用をもたらす会社である。
そんな人がご近所、我が家と同じ班で一主婦として暮らしていたのである。
~続く~