不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

Sさんの旦那さんが亡くなられた。その⑥

 弔問は一戸につき一人の参列となっているもっと多
くても構わない。
 KさんとNさんはご夫婦で参加されている。
 Nさんの奥さんは遺体横の簡易祭壇で祈った後、Sさ
んの枕元に移動した。
 そして遺体の顔に自分の顔を近づいて言葉をかけて
いる。 
 通夜・告別式ではよくある光景であろう。
 だが、私にはこれに違和感を覚える。
 当人が存命中にしなかったようなことを、没後にやるか
ぁ~?
 そんな近距離で顔を近づけて話すなんてことは、無か
ったであろう。
 それを今している。
 他の人も見ている中でである。
 なんでやるのかなぁ~?
 これは他人の視線があるからするのか?
 或いはなんの考えもなくするのか?
 こういう時にはこうする、という無意識の刷り込みが起
動してそうしているのだろうか。
 そこに横たわっているのは、魂が抜けた物体である。
 冷やしておかないと腐敗がすぐに始まる物体である。
 それに向かって言葉をかける。
 人として自然な行為の一つとして認められているのであ
ろう。
 気持ちはわかる。
 私でもわかる。
 しかし、私には非日常時のパフォーマンスの一つに見え
てしまうのだ。

 ~続く~