不二家憩希のブログ

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ピーター・フォーク~コロンボ以上に変わった男。その⑤

 フォークは、大学生時代に義眼について友人た
ちから随分からかわれたと語っている。
 就寝前に外しておいた義眼を隠される、といった
いたずらはしょっちゅうだったようだ。
 いたずらというには度が過ぎているような気もする。
 だが、それらはいじめではなかった。
 彼らなりのジョークのようなものだったらしい。
 え~!そんな酷いことをやっておいてジョークな
のか?と思ってしまうが、このあたりは日本人と米
国人との感性の違いであろう。
 フォークもそれらの体験を忌まわしいこととしてで
なく、面白おかしく思い出している。
 日本人と米国人とでは、出来事の受け取り方が
違うものなのだなぁ、と感じる。
 そう言えば、アメリカン・ジョーク集といったものを
読んでいても、何が面白いのか、何処が面白いの
か、まるでわからないジョークに出くわすことが多々
ある。
 映画やドラマでも私たちにはチンプンカンプンなジ
ョークで大笑いをとっているシーンをよく見る。
 ジョークにしてはどぎついというか、残酷過ぎて笑
えないものもある。
 このあたりが肉食・開拓・牧畜文化が濃厚な米国
人と、草食・農耕文化が長かった日本人との違いな
のだろうか。
 フォークは友人たちから、いろいろと仕掛けられても、
それらをうまく受け流し、笑いに変えるコツを会得して
いったようだ。
 嫌なことを笑いに変える、これは人生におけるもっ
とも有益な錬金術の一つである。
 フォークは体験からその手法を編み出し、自分のも
のとしたのであった。
 フォークが持っている独特の哀愁の雰囲気は、そこ
からきていると思う。
 
 ~続く~