不二家憩希のブログ

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ピーター・フォーク氏ご逝去に寄せて その24

コーン社長に酷いことを言われたことがある。
 その内容は、ちょっと信じられないようなもの
なのだが、コーンは、そう言うことを平気で言い
そうな人物だった。
 ハリー・コーンは、米国のメジャー映画会社で
あるコロンビア映画(現ソニー・ピクチャーズ)の
創業者である。
 コロンビア映画は最初はB級映画と呼ばれる
低予算映画を作る小さな会社からスタートした。
 コーンは経営手腕に優れ、会社をごく短期間
のうちに巨大映画企業へと急成長させた。
 映画業界では「コーンが会社を仕切っているう
ちは、コロンビア映画は絶対に赤字にはならな
いだろう」とまで言われていた。
 ハイリスクな映画界で、それほどの評価を受け
ほどコーンはやり手だったのだ。
 だが、コーンは人柄が極めて悪かった。
 誰からも嫌われ、憎まれていた。
 社内では「ハリウッド始まって以来の暴君」と
呼ばれ徹底的な独裁者的経営を敷いた。
 スタジオ内のあらゆる音声機器の盗聴器が仕
掛けてあり、文句、陰口を言おうものなら、即座に
スピーカーで怒鳴りつける、という方法をとってい
たと言われる。
 コーンは、社内からだけではなくハリウッド全体
からも嫌われていた。
 30年代中頃、コーンは無名のカウボーイ俳優・
ジョン・ウェインを雇い、数本のB級映画を作った。
 コーンは自分と不倫関係を持っている女優にウ
ェインが気を引いたと思い込むようになった。
 コーンはハリウッドの他の映画会社の幹部を集
めてこう言った。
「ウェインは酒を飲んで撮影現場に来るし、女たら
しの厄介者だから使うな」
 勿論、これは嘘八百である。
 そのためウェインは、数ヶ月仕事が来なくなって
しまった。
 その後、ウェインはコーンがしたことを知った。
 激昂したウェインはコーンの事務所に乱入し、コ
ーンの首を締めて「殺してやる」と言った。
 その後落ち着いたウェインは、コーンにこう言った。
「私は、あんたが生きている限りコロンビアでは絶
対仕事しない」
 この時ウェインは未だ無名のB級俳優である。
 ハリウッド一の権力者に、こんな態度がとれるとは、
ジョン・ウェインとはスクリーン上だけでなく実際にも
男気あふれる人物だったようだ。
 その後、ウェインは大スターとなった。
 そして自身の宣言通り、コロンビアの仕事は受け
なかった。
 コーンが亡くなった後もコロンビアの仕事は断り続
けた。
 それらのオファーの中には100万ドルを超えるギャ
ラの作品がいくつもあったが、ウェインはすべて断った。
 コーンが亡くなった時、ハリウッドの誰もが喜んだ。
 コーンの葬儀は超大物らしく盛大なもので参列者の
数も多かった。
 葬儀の際、祭式においてを故人の生涯における功
績を讃える場面があった。
 その際司った僧がこう言った。
 「(功績は)彼が死んだことですね」
 参列した俳優のレッド・スケルトンはこう言った。
「人が見たがっているものを出せば、人は観に来るん
だなぁ」
 もう大変な言われようである。
 そしてこれは、コーンの晩年のことである。
 ピーター・フォークは、コーンのオーディションを受けた。
 スクリーンテストの際、コーンはこう言った。
「同じギャラを払うなら、ちゃんと2つの目がある役者
を使うよ」
 フォークは右目が義眼である。
 当時無名の駆け出しの俳優だったフォークに、どれほ
どの衝撃があったことだろうか。
 このエピソードは、後年フォークが語ったものであり、
フォークの名が語り継がれる限り、消えはしないだろう。
 悪党は証拠を残すものである。
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 ハリー・コーン
 
 ~続く~