不二家憩希のブログ

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ピーター・フォーク氏ご逝去に寄せて その25

 ピーター・フォークは映画デビューした翌年
1959年にも映画出演をしている。
 カナダ制作の白黒作品で、タイトルは”The
Bloody Brood”、訳せば”血まみれのヒナ”と
でもなるだろうか。
 何とも酷いタイトルとしか言いようが無い。
 内容はそのタイトル通りの暗い犯罪映画であ
る。
 作品封切り時の1959年当時、米国でブームと
なっていたビートニクたちの生態と犯罪を描いて
おり、作品全体を頽廃的ムードが覆っている。
 ビートニクとは、ビート族とも呼ばれビート・ジェ
ネレーションという文学的世代を形成した一派を
指す。 
 1955年代中頃から10年ほどのブームで、この
流れは後のヒッピー・ムーブメントに繋がっている。
 彼らはキリスト教を否定し、仏教を標榜し、文明
社会を非難し自然回帰を訴えた。
 こうした反抗的態度は、少なからず注目を集め
はするが、彼ら自体は決してそれらを実践してい
たわけではない。
 都会に住み、便利な文明社会の恩恵を享受し、
たまに旅に出るだけ、仏教に本格的に取り組んで
たわけでも無く、何度か仏教寺院を覗いた程度
ある。
 つまりビートニクとは中途半端な俗物なのである。
 また、ビートニクを麻薬とも密接な関係にあった。
 この時代、米国では麻薬の類は未だ完全な違法
薬物とはなっておらず、不良たちがそれらに耽溺し
ていた。
 ビートニクたちは、麻薬に酔い文学も記し詩を読む
といった活動をしていたのだ。
 彼らにとっては、そうした姿勢こそが”かっこいい”
ものだったようだ。
 今日でも行われているポエトリー・リーディングは、
基本的にビートニクが始めた表現形式である。
 映画の中でも、そうした光景を見ることができる。
 そこに描かれている世界は実に頽廃的で、よどん
だ空気で窒息してしまいそうである。
 所詮、彼らは文学者を名乗ってはいるが、気の毒
麻薬中毒者でしかない。
 内容も詩的といえば聞こえは良いが、要は支離
滅裂なのである。
 私は、ビートニク自体が好きではない。
 彼らの作品を何冊も読んではみたが、少しも共感
できる部分が見つからなかった。
 フォークは、この作品でビートニクの男を演じている。
 後年のコロンボの印象とは大違いの暗いキャラク
ーを見事に演じている。
 この映画は、丸ごと一本が無料でインターネット上
に公開されており、ダウンロードも可能となっている。
 YouTubeにもアップされている。
 だが、2度3度と観たい映画ではないなぁ、と思った。
 私はフォークが出ていなければ最後まで観なかった
と思う。
 それでも、ラスト5分ほどはフォークの緊迫した演技
に目が離せなかった。
 フォークの演技力は、やはり強烈である。
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 ~続く~