不二家憩希のブログ

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「ウィ・アー・ザ・ワールド」の思い出 その③

ウィ・アー・ザ・ワールド」はライオネル・
リッチー氏とマイケル・ジャクソン氏の共作
曲である。
 曲調からすると、曲の多くはリッチー氏、
印象的なコーラスを含むリフレイン部分がジ
ャクソン氏だと思われる。
 そしてプロデュースはクィンシー・ジョー
ンズ氏である。
 この3人は当時最も売れており、手がける
曲がどれも大ヒットをしていた。
 このプロジェクトは、リッチー、ジャクソ
ン、ジョーンズの三氏が手分けして参加メン
バーに曲の指導をした。
 彼らはスタジオ入りして初めて曲を知らさ
れ担当パートもその場で教えられている。
 参加した豪華メンバーを拘束できるのは一
夜限りである。時間は限られている。
 リッチー氏らスタッフは綿密な段取りを組
みその上で曲の指導と録音は進められていっ
た。
 参加したミュージシャンも、彼らの指示に
従い和気藹々と作業は進められた。
 だが、その途中で思わぬことが起きた。
 以下は、ダリル・ホール氏とジョン・オー
ツ氏が後日インタビューの中で語ったことで
ある。

「作業がすすんでいくうちに突然、スティー
ビー・ワンダーが『自分が中心になりたい』
って言い出したんだよ」
「そんなこといきなり言われても、困っちゃ
うよね」
「僕らはその様子を周りで見ていたんだけど、
ちょっともめてたみたい」
「結局、スティービーがなだめられて、元通
りに作業は再開されたんだけどね」

 ドキュメント映像にはまったく触れられて
はいないが現場ではそういうことが起きてい
たのだ。
 スティービー・ワンダー氏なら言いそうな
ことである。
 スティービー氏は70年代中頃からいち早
くアフリカ問題を活動の中で取り上げていた。
 70年代当時音楽界でアフリカ問題に関わ
るのは極めて珍しいことだった。
 そうした自負もあり、10年も遅れて言い
出した者に従いたくない、と思ったのかもし
れない。
 あるいは、この曲自体がスティービー氏は
気に入らなかったのかもしれない。
 稀代のメロディーメーカーであるスティー
ビー氏のセンスに合わなかったのかもしれな
い。
 スティービー・ワンダー氏にへそを曲げら
れては周りの人間も困ってしまっただろう。
 彼は当時既に実績、名声とも絶頂期にあり、
彼を説得するのは容易ではなかっただろう。
 その後何とかうまく収まったものの、スタ
ッフは肝を冷やしたに違いない。

 このエピソードは、あまり知られていない
と思う。
 この話は結果的にスィービー・ワンダー氏
に対する悪口も含まれることになるので、皆
が遠慮をして話さなかったのかもしれない。
 
 ~続く~