不二家憩希のブログ

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ジョン・レノンの偉人化と崇拝の浸透。

 元ビートルズジョン・レノンの命日は、
1980年12月8日だ。
 私は、当時そのニュースに驚いたものだが、
同時に危惧の念を持った。
 それは、これでジョン・レノン崇拝、もし
くはレノンの偉人化が始まるのではないか、
ということである。
 若くして亡くなった英雄は、その死後に崇
拝の対象にされることが多い。
 これはナンセンスなことである。
 1980年の時点でそういった英雄化された著
名人にはジェームズ・ディーンやブルース・
リーらがいた。
 私はディーンをリアルタイムでは知らない。
そのため彼の英雄化の過程を知らない。
 ブルース・リーは没後に日本でも知られる
ようになったので、生前のことは知らない。
 私にとってレノンの死は死後崇拝の現場を
観察出来る初めての機会だった。
 レノン自身も、死の5時間前に受けた米国
プレイボーイ誌のインタビューでも、「自分
はジェームス・ディーンとかのように死んで
から奉られたくはない」と語っている。
 レノンの死後、3~4年は、まだ崇拝・偉人
化の兆候は無かった。
 人々はまだ悲しみのと喪失感の中にいたの
だと思う。
 だが、死後5年を経過したあたりから、レノ
ンを過度に称える論調が出始めてきた。
 そうなってしまうと、世の流れは止められ
なくなってきた。
 ジョンは偉人だった、というような評論が
出始めてきた。
「愛と平和」という誰も抵抗できない形容が
レノンに使われるようになった。
 2002年にはリバプールの空港が、リバプー
ル・ジョン・レノン空港と改名された。
 空港の名前に個人名が使われることは極め
て異例である。
 レノンの異人化と崇拝の流れは音楽ファン
だけのものではなくなってきたのだ。

 人は精神的に何かに頼りたがっている生き
物で、常に寄りかかれるものを探している。
 そして彼らは探すと同時に新たに作り出し
もする。
 彼らは精神的に寄りかかり、崇拝すること
で自身の不安や混乱を一時的ではあるが忘れ
ることが出来るのである。
 
 ジョン・レノンも彼等の崇拝の対象となり
苦笑しているに違いない。