不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

無人売店でさつまいもを買う。

 いつも通る道の途中に畑がある。
 その畑の脇のスペースで、昨年の今頃に無人売店
開店していた。
 昨年の商品は、柿だった。他には、何も無い。
 庭に置くような木製のすのこに足が付いたような長
椅子の上に、この店の唯一のアイテムである柿が並べ
られていた。
 使用済みのレジ袋に、大きな柿が6つ入れて売られ
ていた。
 柿の後ろには、志とマジックで書かれた賽銭箱が置
いてある。
 賽銭箱の前に立てかけられたボール紙に、一袋50
0円とあった。
 これで、500円なら安い。
 私は、この時2袋買い、2日後にまた2袋買った。

 さて、今年も無人売店はあるのだろうか?
 今日も、その道を行く。
 おっ、今年もやっている。
 今年も柿かな?
 近づいてみると、今年はさつまいもだった。
 紅あずま・1袋200円である。
 柿だと思っていたのだが、さつまいもも好きなの
で、即購入決定。
 財布を見ると、細かいのが無い。
 私は、いったんその場を去り、本来の用事を済ま
せることにした。紙幣もくずした。

 私は再び無人売店に舞い戻った。
 あれから、何時間も経過しているのに椅子の上の
商品に動きは無いようだった。それとも、店主が商
品の補充をしたのだろうか。
 今年もモノは使用済みのレジ袋に入っている。
 志と書かれた賽銭箱も昨年と同じものだ。
 200円にしては、たっぷり入っている。
 私は、2袋を購入した。

 私は無人売店が大好きである。
 お値打ちということもあるが、店主から、信頼さ
れているという感覚が他では味わえないからである。

 今日のように治安要因が流動的な世の中では、無
売店が将来にわたって成立可能かは分からない。
 一回でも店主にとって嫌なことがあれば、閉店し
てしまうだろう。

 こういう無人売店がいつまでも無くならないよう
な環境が、いつまでも続けば良いと思う。
 そのためには、どうすれば良いのか。
 私が思いつくのは、見つけたらせっせと買う、と
いうことぐらいである。
 治安や道徳の問題は大き過ぎて、簡単に論じるこ
とは出来ないということもある。

 しばらく、焼き芋が存分に食べられて嬉しい。
 私の食欲の秋は無人売店からやって来るのである。